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被爆資料

識別コード 2101-0636
資料名 小皿
資料名(英語)
寄贈者(カナ) 吉田 芳郎(ヨシダ ヨシロウ)
寄贈者(英語) Yoshirou Yoshida
受入年月日 2000/05/25
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 110×110×30
寸法(その他)
被爆地(旧町名) 榎町
被爆地(現町名) 榎町
爆心地からの距離(m) 1000
数量 1
内容 寄贈者吉田芳郎さんの父清吉さんは、動員先である江波町の広島造船所で被爆、母志ずさんは自宅付近で被爆した。芳郎さんは1945(昭和20)年10月中国から復員し、両親と再会した。二人とも髪の毛が抜け落ち丸坊主になっていたが、三人は生きて再び会えたことを涙を流して喜び合った。これらの食器は、清吉さんが営んでいた寿司屋で使っていたもので、焼け跡から掘り出したもの。
ブロック別 十日市・中広地区
展示説明文 寄贈者吉田芳郎さんの父清吉さんは、動員先である江波町の広島造船所で被爆、母志ずさんは自宅付近で被爆しました。芳郎さんは1945(昭和20)年10月中国から復員し、両親と再会しました。二人とも髪の毛が抜け落ち丸坊主になっていましたが、三人は生きて再び会えたことを涙を流して喜び合いました。これらの食器は、清吉さんが営んでいた寿司屋で使っていたもので、焼け跡から掘り出したものです。
展示説明文(英語) Seikichi Yoshida, father of donor Yoshiro Yoshida, was exposed at his mobilization site at the Hiroshima shipyard in Eba-machi. His wife Shizu (Yoshiro’s mother) was exposed near her home. When Yoshiro was demobilized and returned from China in October 1945, he was reunited with his parents. Both had lost their hair and were completely bald, but the three wept tears of joy that they had survived to meet each other again.
資料性質 被爆資料

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