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被爆資料

識別コード 2101-0511
資料名 陰膳の茶碗
資料名(英語) Bowl For An Absent Person
寄贈者(カナ) 古道 仙一(フルミチ センイチ)
寄贈者(英語) Senichi Furumichi
受入年月日 1996/05/07
寸法(幅×高さ×奥行)(mm)
寸法(その他) 120φ×70
被爆地(旧町名) 河原町
被爆地(現町名) 河原町
爆心地からの距離(m) 1100
数量 1
内容 古道フデさん(当時53歳)は、河原町の自宅で風呂の炊き口にしゃがんでいる時に被爆し、背中に大火傷を負った。その後観音町の家で下敷きになっていた姉を助け出し、自分の怪我もかまわず背負って郊外の宮島口まで逃れたが、13日後、フデさんは死亡した。死ぬ間際に息子の仙一さんのことを思い、「広島にこんな爆弾が落ちたのでは、仙一もだめなんじゃないか。」といって気力がなくなったという。この陰膳の茶碗は、仙一さんが1940年7月に召集されて以来、その無事を祈りながら床の間に写真とともに供え続けられていた。1946年6月にシンガポールから帰ってきた仙一さんは、自宅焼け跡からこれを発見し掘り出した。
ブロック別 吉島・舟入・観音地区
展示説明文 母親のフデさん(当時53歳)は、自宅の軒先で被爆し、背中に大やけどを負い、2週間後に死亡した。この茶碗は、召集中だった一人息子(仙一さん)の無事を祈って毎日床の間に供えていたものである。1946年(昭和21年)6月に復員した仙一さんによって、自宅の焼け跡から掘り出された。
展示説明文(英語) Senichi Furumichi's mother, Fude (53 years old at the time), was exposed to the bomb standing in front of her house. Severely burned on her back, she died two weeks later. Fude had been making prayer offerings in this bowl for the safe return of her only son, Senichi, fighting at the front. He did return safely from Southeast Asia in June 1946, and discovered this prayer bowl in the ruins his home.
資料性質 被爆資料

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