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トップページ被爆資料抹茶茶碗

被爆資料

識別コード 2101-0259
資料名 抹茶茶碗
資料名(英語) Ceremonial tea bowl
寄贈者(カナ) 小原 保男(オバラ ヤスオ)
寄贈者(英語) Yasuo Obara
受入年月日 1968/08/05
寸法(幅×高さ×奥行)(mm)
寸法(その他) 120φ×85
被爆地(旧町名)
被爆地(現町名)
爆心地からの距離(m)
数量 1
内容 寄贈者小原保男さんの妹静子さん(当時19歳)は、出勤途中に爆心地から約1500mの三篠橋付近で被爆した。母親が懸命に捜し、基町の広島陸軍病院でようやく見つけることができたが、8月9日に息を引き取った。他のたくさんの遺体とともに火葬され、「静ちゃんはこの辺り」と骨を拾った。この抹茶茶碗は、骨つぼ用に兵隊が拾ってきてくれたものである。
ブロック別
展示説明文 小原保男さんの妹の小原静子さん(当時19歳)は、出勤途中に爆心地から約1,500mの三篠橋付近で被爆しました。基町の広島陸軍病院で治療を受けましたが、8月9日に亡くなりました。この抹茶茶碗は、荼毘に付された静子さんの遺骨を入れるために、兵隊が拾ってきてくれたものです。
展示説明文(英語) Shizuko Ohara (then 19), the sister of the Yasuo, was exposed to the A-bomb on her way to work near Misasa Bridge about 1,500m from the hypocenter. She received treatment at the Hiroshima Army Hospital in Motomachi, but died on August 9. This ceremonial tea bowl was picked up by a soldier to hold Shizuko's ashes after she was cremated.
資料性質 被爆資料

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