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トップページ被爆資料碍子(がいし)

被爆資料

識別コード 1215-0020
資料名 碍子(がいし)
資料名(英語) Insulators
寄贈者(カナ) 茶木原 実人(チャキハラ ジツト)
寄贈者(英語) Jitsuto Chakihara
受入年月日 1982/07/09
寸法(幅×高さ×奥行)(mm)
寸法(その他) 40φ×70
被爆地(旧町名) 幟町
被爆地(現町名) 幟町
爆心地からの距離(m) 1000
数量 1
内容 1981(昭和56)年9月、幟町国民学校跡(現幟町公園)から掘り出されたもの。寄贈者の茶木原実人さん(当時31歳)は、広島地区第一特設警備隊の一員として幟町国民学校に駐屯していた。任務である前夜からの橋の警備を終え、校舎二階で仮眠している時に被爆、崩れた校舎の下敷きとなったが、なんとか脱出した。校舎は全壊全焼し、校舎の1、2階に居た隊員約300人のうち、ほとんどが死亡した。茶木原さんも、その後脱毛、紫斑などの放射線の急性障害により生死の境をさまよった。
ブロック別 銀山・幟地区
展示説明文 ガラスの付着した碍子(*注)
茶木原実人氏寄贈(ちゃきはら じつと)
爆心地から約1,000m 幟町(のぼりちょう)
1981(昭和56)年9月、幟町国民学校跡で掘り出されたもの。茶木原実人さん(当時31歳)は、駐屯していた幟町国民学校校舎二階で仮眠中に被爆、崩れた校舎の下敷きになったもののどうにか脱出しました。校舎は全壊全焼し、中にいた約300人のほとんどが亡くなりました。茶木原さんもその後、脱毛・紫はんなどの放射線の急性障害により生死の境をさまよいました。
*【碍子(がいし)】
電線を絶縁し支持するために鉄塔や電柱などに取り付ける装置のこと。
展示説明文(英語) Glass adhering to an insulator
Donated by Jitsuto Chakihara
Approx. 1,000 m from the hypocenter Nobori-cho
Dug from the ruins of Nobori-cho Elementary School in September 1981. Jitsuto Chakihara (then, 31) was exposed to the atomic bomb while taking a nap on the second floor of Nobori-cho Elementary School where he was stationed. He was trapped when the building fell but managed to dig his way out. The school was totally crushed and burned, and nearly all of its 300 occupants died. Jitsuto developed the symptoms of acute radiation poisoning (hair loss, pupura) and hovered between life and death.
Insulator: A device used to insulate and fix power lines onto electric towers and poles
資料性質 被爆資料

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