識別コード | 1209-0111 |
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資料名 | 布袋像 |
資料名(英語) | |
寄贈者(カナ) | 藤岡 久之(フジオカ ヒサユキ) |
寄贈者(英語) | FUJIOKA Hisayuki |
受入年月日 | 2013/5/23 |
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) | 270×300×200 |
寸法(その他) | |
被爆地(旧町名) | 大手町九丁目 |
被爆地(現町名) | 大手町五丁目 |
爆心地からの距離(m) | 1600 |
数量 | 1 |
内容 | 被爆の1年くらい前から、寄贈者・藤岡久之さんの父・吾市(ごいち)さんが自宅庭に埋めていたもの。被爆から1カ月後、全焼した自宅焼け跡から掘り出した。入れていた桐の箱も焼け、袋と腕の部分が壊れていた。原爆により自宅は真上から潰れ、自宅にいた吾市さん、母・キヨさん、長男・利夫さん、四男・豊勝さんが被爆した。四男・豊勝さんをかばった吾市さんは大けがを負ったが、他の三人は軽傷であった。広陵中学校1年生だった久之さん(当時12歳)は、学徒動員先である鶴見橋西詰付近の建物疎開作業現場で被爆。ピカッと光って、体が宙に浮いた。地面にたたきつけられ、背中の痛みで気がつくと、倒そうとしていた家の下敷きになっていた。足を負傷していたが、自宅に帰りたい一心で、木切れを杖代わりに、何度も転びながら、自宅を目指した。自宅にたどりつくと、二階が燃えていた。その後、家族と再会した。久之さんは、被爆3日後から下痢、9月~12月には髪が抜け、紫斑が出た。再開した学校に行くこともできず、心配した吾市さんが、病院ではどうにもならないと、足の裏から頭のてっぺんまでお灸をして治そうとしてくれた。その後、回復した。 |
ブロック別 | 国泰寺・千田地区 |
展示説明文 | |
展示説明文(英語) | |
資料性質 | 被爆資料 |