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被爆資料

識別コード 1209-0088
資料名 大切にしていた置物
資料名(英語) Treasured figurine
寄贈者(カナ) 平田 照昌(ヒラタ テルマサ)
寄贈者(英語) Terumasa Hirata
受入年月日 2005/07/23
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 15×25×30
寸法(その他)
被爆地(旧町名) 牛田町
被爆地(現町名) 牛田旭
爆心地からの距離(m) 3500
数量 1
内容 広島女子商業学校2年生だった平田正子(まさこ)さん(当時14歳)は、動員先である鶴見橋西詰め付近の建物疎開作業現場で、先生の説明を整列して聞いていた時に被爆、正面から熱線を浴び全身に大火傷を負った。重傷ながらも必死で避難し、自宅のある牛田までなんとか自力で辿り着いた。全壊した牛田町の自宅では、正子さんの両親と兄の照昌さんが被爆した。両親は家財道具などを近くの土手まで運ぶ作業をしていた。母親が自宅に荷物を取りに戻った時、全壊した家の前で、呆然とたたずんでいた正子さんらしき子を見つけた。正子さんは全身火傷でずるむけ、顔は判別もつかないほど赤黒く腫れ上がっており、お母さんが「まーちゃん?」と尋ねてみると「うん。」と応えたため、正子さんと分かったほどだった。原爆の熱線を浴び大火傷を負った正子さんは、もんぺの腰のゴム紐とズックだけの状態で、火の中を歩きつづけたせいか、靴底は真っ赤になっていた。近くの小川で正子さんを寝かせたが、薬もなく、きゅうりやトマトの汁を火傷に塗ることぐらいしかできなかった。正子さんは14日に亡くなった。亡くなる直前、照昌さんが正子さんの寝ている傍に行った時、手首以外無傷の照昌さんを見、「お兄ちゃんはいいねぇ。」と言った一言が今でも忘れられずに耳に残っている。この像の置物は妹の正子さんがいつも机の上に飾っていたもの。全壊した自宅の建物の近くにあり、爆風で飛ばされたためか、足と鼻の部分が破損している。
ブロック別 牛田・広島駅周辺地区
展示説明文
展示説明文(英語) The donor's younger sister Masako Hirata (then, 14), a second-year student at Hiroshima Girls Commercial School, was exposed lined up with her class near the west end of Tsurumi Bridge. She staggered home to Ushita wearing only the elastic waistband of her monpe trousers and her canvas slip-on shoes. Masako was so terribly burned that her own mother could not recognize her until Masako responded to her. Masako died on the 14th. She had kept this favorite ornament on her desk.
資料性質 被爆資料

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