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被爆資料

識別コード 1209-0071
資料名 置物
資料名(英語) Figurine
寄贈者(カナ) 乗末 晴信(ノリスエ ハルノブ)
寄贈者(英語)
受入年月日 1999/08/03
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 150×150×95
寸法(その他)
被爆地(旧町名) 国泰寺町
被爆地(現町名) 国泰寺町二丁目
爆心地からの距離(m) 1150
数量 1
内容 国泰寺町の自宅1Fにあったもの。当時家族は疎開していて、自宅は近所の人が留守番をしていてくれた。近所の人も被爆死は免れた。被爆により自宅は全壊全焼で2~3日後に晴信さんと弟が焼け跡に行った所この物置だけが残っていた。当時晴信さんは修道中4年生で動員学徒として江波の三菱造船所に疎開先から通っていたが、たまたま遅刻し8時頃バスで鷹野橋に到着、そこで大手町に住んでいた親戚と出会った。その人は大手町の自宅に帰り即死したという。晴信さんはバスを乗換え江波に向い、三菱造船所に着いた時被爆したが、爆風で防空壕の中に飛ばされ奇跡的に無傷だった。
ブロック別 国泰寺・千田地区
展示説明文 国泰寺町の自宅1階で被爆したもの。全壊全焼した自宅の焼け跡に、この置物だけがポツンと残っているのを、被爆数日後、晴信さんと弟が発見しました。修道中学校4年生だった晴信さんは、動員先の江波町の三菱重工広島造船所に着いた時に被爆しましたが、爆風で防空壕の中に飛ばされ奇跡的に助かりました。
展示説明文(英語) This figurine was exposed to the A-bomb on the first floor of the Norisue home in Kokutaiji-machi. A few days after the bombing, Harunobu and his younger brother found it in the burned ruins of their home, the only remaining identifiable object. Harunobu, then in his fourth year at Shudo Junior High School, was exposed to the bomb as he arrived at his mobilization post, the Hiroshima Shipbuilding Yard of Mitsubishi Heavy Industries in Eba-machi. He was miraculously spared when the blast blew him into an air-raid shelter.
資料性質 被爆資料

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