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被爆資料

識別コード 1205-0097
資料名 花びん
資料名(英語) Vase
寄贈者(カナ) 藤田 稔子(フジタ トシコ)
寄贈者(英語) FUJITA Toshiko
受入年月日 2020/11/12
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 130×119×63
寸法(その他)
被爆地(旧町名) 大手町四丁目
被爆地(現町名) 大手町二丁目
爆心地からの距離(m) 430
数量 1
内容 進徳高等女学校生徒の藤田稔子(ふじた としこ)さん(当時16歳)は、安芸郡船越町の日本製鋼広島製作所に動員されていた。
8月6日は工場が電休日のため、段原日出町の自宅におり、庭でB29が上空を飛んでいるのを見た。母親の千代子さんに「あれ見て」と声をかけ、家の中に2,3歩入った瞬間、爆風を受け、気を失った。意識を取り戻すと、熱線を受けたと思われる背中側の服の色が変わり、家の中は滅茶苦茶になっていた。稔子さんも千代子さんも怪我はなかったが、黄金山のふもとに住んでいる知人の納屋に避難し、8月7日に自宅へ戻った。
その後、全身やけどを負った伯母を救護所に連れて行ったり、東練兵場で傷ついて動けなくなっていた叔母のために配給のむすびをもらいに行ったりした。
被爆から1カ月後頃には、建物疎開作業に動員され行方不明になっていた叔父を捜して叔父の息子とともに市内を歩き回った。途中、全身真っ赤にやけただれた人が防火水槽の中で亡くなっている様子や、遺体を重ねて焼いている様子を目撃した。
この花びんは、稔子さんが1946年(昭和21年)2月から勤務していた大手町の日本貯蓄銀行附近の焼け跡を掘り、見つけたもの。「犠牲となった人のものが埋もれたままになってしまわないか」また「被爆前のものが何かあるのではないか」と思い掘り返した。皿5枚も見つかったが、すぐに粉々になった。
ブロック別 紙屋町・本通地区
展示説明文 藤田稔子さん 当時16歳
段原日出 2.6km
女学生だった藤田さんは、自宅で被爆。

銀行の焼け跡で見つけた花びん
寄贈:藤田稔子
展示説明文(英語) Toshiko Fujita
Then 16
Dambara-hinode 2.6km from the hypocenter
Toshiko Fujita was a girl student. She was exposed to the bombing at home. She lost consciousness by the blast, and when she came to, a glass fragment was stuck in her ear.
She started to work at the Hiroshima Branch of Japan Savings Bank since 1946.

Flower vase picked up at the burnt-out ruins of the bank.
Donated by Toshiko Fujita
資料性質 被爆資料

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