識別コード | 1205-0091 |
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資料名 | 花びん |
資料名(英語) | |
寄贈者(カナ) | 田中 栄章(タナカ エイショウ) |
寄贈者(英語) | TANAKA Eisyo |
受入年月日 | 2018/10/26 |
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) | |
寸法(その他) | 90φ×130 |
被爆地(旧町名) | 竹屋町 |
被爆地(現町名) | 富士見町 |
爆心地からの距離(m) | 1100 |
数量 | 1 |
内容 | 田中彰さん(当時16歳)が、1945年(昭和20年)8月中旬に竹屋町の自宅焼け跡で収集したもの。 彰さんの父・栄基さんは、竹屋町の自宅で被爆。逃げられないまま亡くなった。 県立広島第一高等女学校1年生だった妹の寛子さんも動員学徒として建物疎開作業中に土橋付近で被爆。寛子さんを見つけた彰さんは、大八車に乗せて寛子さんを連れ帰ったが、寛子さんも亡くなった。 被爆時のことについて多くを語ることはなかった彰さんだったが、これらを棚に飾ってずっと大切にしていた。「桃が食べたい」と言って亡くなった寛子さんのため、仏壇にはいつも桃が供えられていた。 |
ブロック別 | 国泰寺・千田地区 |
展示説明文 | 寄贈/田中栄章 爆心地から約1,100m 竹屋町(現在の富士見町) 田中彰さん(16歳)が、自宅焼け跡から見つけたもの。 彰さんは、父・栄基さんと妹・寛子さんを原爆で亡くした。彰さんは、原爆の話をすることはなく、89歳で亡くなるまでこれらを棚に飾り、大切にしていた。 |
展示説明文(英語) | Donated by TANAKA Eisho 1,100 m from the hypocenter Takeya-cho (now, Fujimi-cho) Articles that TANAKA Akira (then, 16) found from the site of his fire-devastated house Akira lost his father Eiki and younger sister Hiroko due to the atomic bombing. Akira never talked about the atomic bombing, and he had valued these articles by displaying them on a shelf until he died at the age of 89. |
資料性質 | 被爆資料 |