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トップページ被爆資料全焼した自宅跡にあった花びん 

被爆資料

識別コード 1205-0071
資料名 全焼した自宅跡にあった花びん 
資料名(英語) Flower vase left at the site of a home that had been completely burned
寄贈者(カナ) 竹内 康三(タケウチ コウゾウ)
寄贈者(英語) Kozo Takeuchi
受入年月日 2009/11/30
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 50×77×155
寸法(その他)
被爆地(旧町名) 竹屋町
被爆地(現町名) 富士見町
爆心地からの距離(m) 1000
数量 1
内容 寄贈者の竹内康三さんと姉の久子さん(ひさこ 当時16歳)が、全焼した自宅焼け跡から8月9日に収集したもの。竹内さん宅では、仕事で自宅を離れられなかった父親の彦一さん(ひこいち 当時56歳)を残し、一家は五日市に疎開していた。彦一さんは、週末を家族と共に疎開先で過ごし、月曜の朝、自宅に戻る生活を続けており、8月6日も自宅へ帰る途中に立ち寄った弟の卯三郎(うさぶろう)さん宅で被爆した。胡町にあった卯三郎さん宅は全壊し、卯三郎さんは建物の下敷になって即死。彦一さんは落ちてきた梁で頭部に頭蓋骨が見えるほどの裂傷、鼻のあたりには木材片が突き刺さる大けがを負いながらも東練兵場へ逃れた。被爆から約10日、彦一さんはようやく五日市の家族の元へ帰ることが出来た。もう彦一さんはだめかもしれないとあきらめかけていた家族は再会を大変喜んだ。
ブロック別 国泰寺・千田地区
展示説明文 寄贈者と姉・久子(ひさこ)さんが8月9日に持ち帰ったもの。竹内さん一家は、仕事で自宅を離れられなかった父親の彦一(ひこいち)さんを残し、五日市(現在の広島市佐伯区)に疎開していました。彦一さんは、週末を疎開先で家族と共に過ごし、月曜の朝自宅に戻る生活を続けていました。月曜だった8月6日も、彦一さんは疎開先から自宅へ帰る途中、立ち寄った弟宅で被爆。弟は即死、彦一さんも大けがを負いました。彦一さんは、10日後にどうにか五日市まで帰りつくことができ、もうだめかもしれないとあきらめかけていた家族と再会を喜び合いました。
展示説明文(英語) This article was brought back by the donor Kozo Takeuchi and his elder sister Hisako on August 9. The Takeuchi family evacuated to Itsukaichi (now, Saeki-ku, Hiroshima City), except for the donor's father Hikoichi, who could not leave home for work. Hikoichi continued his routine of spending weekends with his family at their evacuation place and returning home Monday morning. On August 6, a Monday, Hikoichi was exposed to the bomb at his younger brother's home, Hikoichi had stopped over on his way home from the evacuation place. His younger brother died instantly and Hikoichi sustained serious injuries. Ten days later, Hikoichi managed to return to Itsukaichi and was happy to be reunited with his family members, on whom he had almost given up.
資料性質 被爆資料

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