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被爆資料

識別コード 1204-0039
資料名 印鑑
資料名(英語) Seal
寄贈者(カナ) 大咲 春雄(オオサキ ハルオ)
寄贈者(英語) OSAKI Haruo
受入年月日 2017/7/13
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 11×7×58
寸法(その他)
被爆地(旧町名) 左官町
被爆地(現町名) 本川町
爆心地からの距離(m) 500
数量 1
内容 大咲伊太郎さん(当時51歳)は、勤務先の芸備銀行本店に出勤途中、左官町付近を走行中の電車の中で被爆。電車の中だったのである程度熱線は防がれたが、周りは火の海で熱くてたまらず、一緒に乗っていた人達を誘導して近くの本川に逃れた。やがて、伊太郎さんは千田町一丁目の広島赤十字病院へ収容された。
広島市郊外の可部町の自宅にいた妻のタミさん(当時43歳)は、帰らぬ夫を心配し、何度も何度も芸備銀行可部支店へ安否の確認に通っていた。3日後、芸備銀行可部支店から、タミさんの元に「伊太郎さんが広島赤十字病院へ収容されている」という情報がもたらされた。タミさんは急ぎ伊太郎さんのところへ向かい、首筋に5~6個の大豆大のガラス片がめり込んで、ウンウン唸りながら横になっている伊太郎さんを見つけた。
伊太郎さんはタミさんとともにどうにか自宅に帰ったものの、十分な医薬品もなく、医者もおらず、なたね油をつけるくらいの治療しかやりようがない中、家族の懸命な看病を受けた。しかし、8月14日午前4時頃、伊太郎さんは家族に見守られる中亡くなった。
この執務印鑑は、銀行員だった伊太郎さんが通勤時にはいつも身に付けていたもので、被爆時にもポケットに入れていた。伊太郎さんが亡くなった後、今日まで息子の春雄さん(当時16歳)らが仏壇に納めて大切にしてきた。
当時、崇徳中学校4年生で、学徒動員先の工場で被爆した春雄さんは、伊太郎さんを捜しに行く途中に見た阿鼻叫喚の地獄を今でもはっきりと覚えている。春雄さんは、これらの遺品は伊太郎さんが「あの地獄を決して忘れてはならない」と伝え続けるために、遺してくれたものだと思っている。
ブロック別 十日市・中広地区
展示説明文 銀行行章 執務印鑑
寄贈 大咲春雄
大咲伊太郎さん(51)は芸備銀行本店へ出勤する途中、電車の中で被爆。
3日後、知らせをうけた妻が赤十字病院へ駆けつけると、伊太郎さんは、首筋に5~6個の大豆大のガラス片がめり込み、ウンウン唸りながら横になっていた。
8月14日午前4時ごろ、家族に見守られる中、自宅で死亡。

伊太郎さんはこの行章と印鑑を、いつも上着のポケットにいれていた。
展示説明文(英語) Bank Badge and Seal Used for Work
Donated by Haruo Osaki
Itaro Osaki (51) was exposed to the bombing on a train on his way to work at the head office of Geibi Bank.
Informed of his whereabouts three days later, his wife rushed to the Red Cross Hospital, and found Itaro with five or six glass fragments the size of each a soybean on his neck. He was groaning on a bed.
At around 4:00 a.m. on August 14, he died at home with his family by his side.

Itaro always had this badge and this seal in a pocket of his jacket.
資料性質 被爆資料

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