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被爆資料

識別コード 1204-0037
資料名 印鑑
資料名(英語) Seal
寄贈者(カナ) 有井 正子(アリイ マサコ)
寄贈者(英語) ARII Masako
受入年月日 2015/06/29
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 70×15
寸法(その他) 90×30(枠)
被爆地(旧町名) 堺町一丁目
被爆地(現町名) 堺町一丁目
爆心地からの距離(m) 600
数量 1
内容 吉岡正二さん(当時31歳)は、尾長町の広島県盲学校に疎開中だった広島県警察部国民動員課に勤務していた。8月6日、正二さんは県庁に警察署の書類を取りに行くため、自宅の可部から可部線に乗り横川駅で降りたが、その後消息が分からなくなった。
帰ってこない正二さんの安否を確かめるため、正二さんの両親が8月8日に入市し、県庁付近を捜したが何の手がかりもなく、産後間もない体だった妻の美佐子さんは、自分の兄の正美さんに助けを頼んだ。美佐子さんは、その頃正二さんは腸の調子が悪く、堺町の伊藤病院に通っていたのを思い出し、出勤前に病院に行ったのではないかと考えた。8月13日、正美さんは正二さんの家の近隣の男性3人と大八車をひいて、堺町付近へ向かった。正美さんによると、病院近辺は炎天下で悪臭が漂っていて、市内電車は爆風で軌道の外にはね飛ばされており、馬の死体が横たわっていたのが印象的だったという。病院は跡形もなく完全に焼け落ちていた。正美さんたちが診療室や待合室と思われる場所を掘り返すと、正二さんの遺骨と印鑑が出てきた。水晶の印鑑は半分に折れ、折れた片側には「吉岡」とはっきり文字が刻まれて残っていた。その側には、金具の上下がくっ付いて変形してしまった印鑑入れの枠、針が飛んだ時計、眼鏡があり、全て正二さんのものと断定された。正二さんの遺骨と遺品は全て、正二さんの家へ持ち帰られた。遺品の一つである、この印鑑も、被爆から70年を経た今日まで、吉岡家の仏壇で大切に保管され、供養され続けてきた。
ブロック別 十日市・中広地区
展示説明文 印鑑
寄贈/有井正子氏
爆心地から約600m 堺町一丁目
吉岡正二さん(当時31歳)は、広島県警察部に勤務していました。8月6日、正二さんは県庁に書類を取りに行くため可部線に乗り、横川駅で降りた後、消息が分からなくなりました。正二さんの安否を確かめるため、両親が8月8日に入市し、県庁付近を捜しましたが何の手がかりもなく、産後間もない体だった妻の美佐子さんは、自分の兄の正美さんに助けを頼みました。美佐子さんは、その頃正二さんが体調を崩して、堺町の病院に通っていたのを思い出し、出勤前に病院に行ったのではないかと考えました。8月13日、正美さんらが堺町付近へ向かうと、病院は跡形もなく焼け落ちていました。診療室や待合室と思われる場所を掘り返すと、正二さんの遺骨と印鑑が出てきました。これらは、被爆から70年を経た今日まで、吉岡家で大切に保管され、供養され続けてきました。
展示説明文(英語) Seal
Donated by Masako Arii
Approx. 600m from the hypocenter Sakai-machi
Mr. Shoji Yoshioka (then, 31) worked for the Hiroshima Prefectural Police Department. On August 6th, he took the Kabe Line to fetch some papers from the prefectural Government office and got off at Yokogawa Station, and got lost after that. To confirm his safety, his parents entered the city on August 8th, and searched for him around the prefectural Government office, but could not obtain any clues. His wife Misako, who had just had a baby, asked her elder brother Masami to help find Shoji. Misako remembered that Shoji had been sick and went to a hospital in Sakai-machi, so she wondered if he might have dropped in at the hospital before going to work. On August 13th, Masami and some other people headed to Sakai-machi, where they found that the hospital had been burned down without leaving a trace. They dug the places where was supposed to be the examination room and the waiting room, and found Shoji’s bones and seal. Until today, 70 years after the atomic bombing, the family of Yoshioka continued to preserve these items with considerable care and pray for the repose of his soul.
資料性質 被爆資料

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