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被爆資料

識別コード 1204-0015
資料名 印鑑
資料名(英語) Seal
寄贈者(カナ) 鍋島 シヤ子(ナベシマ シヤコ)
寄贈者(英語) Shiyako Nabeshima
受入年月日 1985/08/01
寸法(幅×高さ×奥行)(mm)
寸法(その他) 13φ×35
被爆地(旧町名) 水主町
被爆地(現町名) 加古町
爆心地からの距離(m) 1100
数量 1
内容 夫の鍋島重雄さん(当時37歳)は、1945(昭和20)年4月8日3回目の召集を受け、広島地区防衛本部に入隊し、竹原忠海地区の防衛のために部隊を編成。8月1日から10日まで建物疎開作業のため広島市に出張を命じられた。8月6日も水主町の建物疎開作業中に原爆投下。ほとんどの人が被爆死した様子なのに、隊員たちが手を尽くしても重雄さんの遺体は見つからず、あきらめて廿日市の宿舎へ荷物をまとめに行った。そこで偶然に、似島で重雄さんに末期の水をあげたという女性に会い、早速似島に渡って大切に保管されていた遺骨と遺品を受け取った。
ブロック別 吉島・舟入・観音地区
展示説明文 懐中時計・印鑑・パイプ
鍋島シヤ子氏寄贈
爆心地から約1,100m 水主町(現在の加古町)
鍋島重雄さん(当時37歳)は、広島地区防衛本部に入隊し、8月1日から建物疎開作業のため水主町の現場に出動していましたが、6日、建物疎開作業中に被爆し、行方不明になりました。重雄さんを捜しまわっていた隊員たちは、偶然、似島で重雄さんに末期の水をあげたという女性に会うことが出来ました。重雄さんはかつて似島の部隊に所属しており、重雄さんの遺骨とこれらの遺品が大切に保管されていました。
展示説明文(英語) Pocket watch, inkan (seal), pipe
Donated by Shiyako Nabeshima
Approx. 1,100 m from the hypocenter, Kako-machi
Shigeo Nabeshima (then, 37) joined the Hiroshima District Defense Corps and began working at a building demolition site in Kako-machi on August 1. On the 6th, he was exposed to the A-bomb at his worksite and went missing. Defense Corps members searching for Shigeo accidentally encountered a woman who gave Shigeo a last drink of water on Ninoshima. Because he had previously belonged to a unit stationed on Ninoshima, members of that unit carefully preserved his remains and belongings.
資料性質 被爆資料

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