識別コード | 1204-0003 |
---|---|
資料名 | 木製印鑑 |
資料名(英語) | |
寄贈者(カナ) | 八束 要(ヤツヅカ カナメ) |
寄贈者(英語) | Kaname Yatsuzuka |
受入年月日 | |
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) | 10×60×8 |
寸法(その他) | |
被爆地(旧町名) | 基町 |
被爆地(現町名) | 基町 |
爆心地からの距離(m) | 1250 |
数量 | 1 |
内容 | 中国軍管区兵器部修理所長だった八束要さん(当時43歳)は、基町の兵器部修理所で被爆、奇跡的に軽傷で、すぐに部下達の救出に当たった。所用で連れてきていた妻愛子さん、四男嘉忠ちゃん(当時1歳)も同所で被爆、嘉忠ちゃんは即死した。わが子の遺体を泣きながら自らの手で荼毘に付し、その後、懸命に部下たちの救護にあたったが、多くが8月末までに死亡した。要さんは毎日修理所の焼け跡で遺骨や遺品を掘り出し、遺族に届けた。自身も9月初めに倒れ、危篤状態となったが、命を取り留めた。これは、集めた遺品の内、持ち主がわからず保管していたもの。八束家では、次男の嘉孝さん(当時13歳)も動員学徒先で被爆し、現在も行方不明。 |
ブロック別 | 基町・白島地区 |
展示説明文 | 腕時計、印鑑、革財布、鎖付メダル 爆心地から1,250m 基町 中国軍管区兵器部修理所 八束要寄贈 中国軍管区兵器部修理所長だった八束要さん(当時43歳)は勤務先で被爆し、建物の下敷きになりました。自身は、かすり傷を負っただけでしたが、部下58名が亡くなりました。毎日勤務先の焼け跡に通い、部下の遺骨や遺品を掘り出し遺族に届けました。これらの遺品は持ち主が分からず保管していたものです。 |
展示説明文(英語) | Wrist watch, personal seal, leather purse, chained medal 1,250 m from the hypocenter Moto-machi Chugoku Military District Ordnance Maintenance Station Donated by Kaname Yatuzuka Kaname Yatsuzuka, Director of the repair shop at the Chugoku Military District Ordnance Maintenance Station, was bombed at work and became trapped under the building. Although he suffered only minor injuries, 58 of his subordinates died. He went to the burned ruins every day to dig up the remains and belongings of his subordinates, and then delivered them to their bereaved families. These items that were left behind have been kept in storage. The owners have not been identified. |
資料性質 | 被爆資料 |