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被爆資料

識別コード 1202-0020
資料名 万年筆
資料名(英語) Fountain pen
寄贈者(カナ) 川上 鉄夫(カワカミ テツオ)
寄贈者(英語) Tetsuo Kawakami
受入年月日 1974/08/05
寸法(幅×高さ×奥行)(mm)
寸法(その他) 10φ×130
被爆地(旧町名) 大手町九丁目
被爆地(現町名) 大手町五丁目
爆心地からの距離(m) 1400
数量 1
内容 川上鉄夫さん(当時33歳)は、吉島東の自宅から勤務先に向かう途中、広島赤十字病院近くで被爆した。付近の家の下敷きとなり、大火傷を負って、大河の救護所に収容された。妻のキミさんは、倒壊した自宅の下敷きになったものの、救出され、鉄夫さんの安否を心配していた。1週間後、鉄夫さんの居場所を人づてに聞いてかけつけると、鉄夫さんは皮膚がたれさがるほどの火傷を負い、衣服は焼けてパンツしか身に着けていない状態だった。その後、キミさんの懸命の看病を受け、1年後には起き上がれるようになった。この万年筆は、国防服の胸ポケットにさしていたもので、衣服が焼けたあと、これだけが焼けた皮膚にぶらさがっていた。
ブロック別 国泰寺・千田地区
展示説明文 万年筆
爆心地から1400m 大手町九丁目(現在の大手町五丁目)
川上鉄夫氏寄贈(かわかみ てつお)
川上鉄夫さん(当時33歳)は、自宅から勤務先に向かう途中、広島赤十字病院近くで被爆し、大やけどを負って、救護所に収容されました。鉄夫さんの安否を心配していた妻のキミさんが、1週間後、居場所を人づてに聞いてかけつけると、鉄夫さんは皮ふがたれさがるほどの大やけどを負い、衣服は焼けて、パンツしか身に着けていませんでした。鉄夫さんは、キミさんの懸命の看病で、1年後には起き上がれるようになりました。この万年筆は、国民服の胸ポケットにさしていたもので、衣服が焼けたあと、これだけが焼けた皮ふに付着していました。
展示説明文(英語) Fountain pen
1,400 m from the hypocenter Ote-machi 9-chome (now, Ote-machi 5-chome)
Donated by Tetsuo Kawakami
Tetsuo Kawakami (then, 33) was exposed near the Hiroshima Red Cross Hospital on his way from home to work. Badly burned, he was taken to a relief station. His wife Kimi feared the worst, so when, a week later, she heard where he was, she ran to him. She found her husband with skin so burned it was dangling in shreds. His clothes, except his underpants, had been burned off. Thanks to Kimi's devoted care, Tetsuo was able to leave his bed a year later. This fountain pen had been in the pocket of his national uniform. When the cloth was burned away, the pen remained stuck to his skin.
資料性質 被爆資料

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