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被爆資料

識別コード 1201-0015
資料名 足踏みミシン
資料名(英語) Foot-operated Sewing Machine
寄贈者(カナ) 岡田 澄子(オカダ スミコ)
寄贈者(英語) Sumiko Okada
受入年月日 2006/05/24
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 410×870×990
寸法(その他) (閉じると高さ740mm)
被爆地(旧町名) 出汐町
被爆地(現町名) 出汐三丁目
爆心地からの距離(m) 1700
数量 1
内容 岡田フ井コさん(当時40歳)は、自宅の炊事場で被爆、爆風で粉々になった窓ガラスの破片を上半身に浴びた。自宅の屋根は吹き飛び、建物は半壊した。学徒動員先である鶴見橋東詰めの建物疎開作業現場(爆心地から1700m)で被爆した三男(当時14歳)は、全身に大やけどを負い、生死の境をさまよったが、家族の懸命な看護で命を取り留めた。しかし、その後も、体に残るケロイドや後遺症に苦しめられ続けた。これは、被爆時に自宅にあったもの。1922(大正11)年頃のもの。シンガー社製。
ブロック別 比治山・仁保地区
展示説明文 寄贈者の母、岡田フ井コさん(当時40歳)は、自宅の炊事場で被爆。爆風で粉々になった窓ガラスの破片が、フ井コさんの体に突き刺さりました。自宅屋根は吹き飛び、建物は半壊しました。これは被爆時に自宅にあったものです。
展示説明文(英語) Fuiko Okada (then, 40), the mother of the donor, was exposed to the atomic bomb in her own kitchen. Window glass fragments hurled by the blast pierced Fuiko's body. The roof was blown away, and the house partially collapsed. This sewing machine was in her house at the time of the bombing.
資料性質 被爆資料

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