menu

トップページ被爆資料日の丸

被爆資料

識別コード 1106-0037
資料名 日の丸
資料名(英語)
寄贈者(カナ)
寄贈者(英語)
受入年月日 2015/10/19
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 1043×688
寸法(その他)
被爆地(旧町名)
被爆地(現町名)
爆心地からの距離(m)
数量 1
内容 中澤勉さん(当時21歳)は、二部隊の建物の2階で被爆した。右側に窓ガラスがあったため、背中と右半身にガラスが突き刺さり、意識を失った。気がついた時は、建物の一階に埋もれており、助けに来た人に掘り起こしてもらった時には、火がそこまで迫っていた。その後勉さんは、母が疎開していた牛田に帰ろうと思ったが、ケガのため歩くことができず、這って縮景園まで避難し、そこで一夜を明かした。うとうとして目が覚めると、周りは全て焼けており、勉さんのいたところだけが焼け残っていた。それから3日ぐらいかかって、ようやく牛田に帰った。牛田に帰った勉さんを、母のリョウさんが大八車に乗せて、病院に連れて行った。ガラスが突き刺さった背中と右半身は血だらけで、顔や頸動脈にも大きなきずを負い、右目は血のりで開かなかった。勉さんの体にわいたうじはリョウさんが取り、看病をした。戦後、1958年~1960年(昭和33年~35年)になって、ガラスが入っていたところがひどく痛みはじめた勉さんは、病院で手術を受けた。しかし何度か手術を繰り返したが、全てを取り除くことはできず、晩年になっても痛みがあると「ガラスのせいではないか」と勉さんは不安を抱えていたという。
ブロック別
展示説明文
展示説明文(英語)
資料性質 戦中資料

戻る

Page Top