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トップページ被爆資料被爆時体に巻いていた日の丸

被爆資料

識別コード 1106-0036
資料名 被爆時体に巻いていた日の丸
資料名(英語)
寄贈者(カナ) 新河 秀子(シンカワ ヒデコ)
寄贈者(英語) SHINKAWA Hideko
受入年月日 2015/07/17
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 810×690
寸法(その他)
被爆地(旧町名) 松原町
被爆地(現町名) 松原町
爆心地からの距離(m) 1900
数量 1
内容 開内守さんは、松原町で被爆した。呉にいた守さんの父母、妻の留子さん、長女の4人は、守さんを心配し、小さなおむすびと水筒を持って入市した。毎日呉から広島に通い、4~5日捜し回ったが、守さんを見つけることはできず、父母は妊娠中だった留子さんに「(守は)見つからんけえ、腹の子もおるし、諦めんか」と言った。しかし、留子さんは諦めきれず、一目守さんに会いたいと、父母に「もう一日だけ捜しに行きたい」と頼んだ。そして6日目、4人はまた入市した。留子さんは「守さん」「守さん」と叫び、必死になって守さんを捜した。ようやく会えた守さんは、やけどで体がずるずるになり、真っ黒になっていて、顔が前にあるのか後ろにあるのかわからないような状態だった。留子さんは、持っていたおむすびを食べさせたが、守さんはごぼっと吐いてしまった。
8月11日、守さんは亡くなった。4人は広島で守さんを荼毘に付し、お骨を呉に持って帰ってお墓に納めた。
これは、守さんが被爆時にお腹に巻いていたもの。そのため、お腹だけはやけどをしなかった。戦後は形見の品として、留子さんが長持に入れて大事に保管していた。
ブロック別 牛田・広島駅周辺地区
展示説明文 寄贈/新河秀子氏
爆心地から約1,900m 松原町
開内守さんは、松原町で被爆。呉にいた守さんの両親、妻の留子さんたちは、守さんの身を案じ、小さなおむすびと水筒を持って入市しました。毎日広島に通い、捜しまわりましたが守さんを見つけることはできず、両親は身重の体だった留子さんに「見つからんけえ、諦めんか」と言いました。しかし、留子さんは諦めきれず、どうしても一目守さんに会いたいと、「もう一日だけ捜しに行きたい」と頼みました。そして6日目、「守さん」「守さん」と叫び、必死に捜した留子さんが、ようやく見つけた守さんは、やけどで体がずるずるになり、真っ黒になっていて、体の前後も分からないような状態でした。留子さんは、持っていたおむすびを食べさせましたが、守さんはごぼっと吐いてしまいました。8月11日、守さんは亡くなりました。
これは、守さんが被爆時にお腹に巻いていたもの。そのため、お腹だけはやけどをしませんでした。遺髪とともに、形見として留子さんが大事に保管していました。
展示説明文(英語)
資料性質 被爆資料

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