識別コード | 1106-0030 |
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資料名 | 日の丸 |
資料名(英語) | |
寄贈者(カナ) | 澤田 睦美(サワダ ムツミ) |
寄贈者(英語) | Mutsumi Sawada |
受入年月日 | 2008/08/05 |
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) | 930×710 |
寸法(その他) | |
被爆地(旧町名) | 基町 |
被爆地(現町名) | 基町 |
爆心地からの距離(m) | 500 |
数量 | 1 |
内容 | 寄贈者の父・樫野三郎さん(カシノ サブロウ 当時33歳)は、第一陸軍病院の兵舎で被爆。気づいたときには爆風に飛ばされ、木造校舎の下敷になっていた。当直明けで、腹痛のため兵舎で靴を脱いで休んでいるときのことだったので、軍服は着ていたが靴は履いておらず、ガラス片でかかとを負傷したが、奇跡的に大きなケガはなかった。周囲は想像を絶する状態で、大やけどを負った人の手当をしようとグリセリンを塗ると、皮がむけて自分の手にはりついたという。戦後も、遺体を荼毘にふす作業などに従事し、岡山県の家族の元に帰ることができたのは、その年の11月頃だった。第一陸軍病院ではたくさんの人が亡くなり、生き残ったのは三郎さんを始めわずかな人だけだった。これは、1939(昭和14)年に三郎さんが応召した際に親族から贈られたもので、油紙に包んで大切に軍服の胸ポケットに入れていたものだった。 |
ブロック別 | 基町・白島地区 |
展示説明文 | 寄贈者の父・樫野三郎さん(当時33歳)は、第一陸軍病院の兵舎で被爆。爆風に飛ばされ、建物の下敷になりましたが、奇跡的に大きなけがを負いませんでした。三郎さんは、遺体を火葬する作業などに従事し、岡山県の家族の元に帰ることができたのは、11月ごろでした。第一陸軍病院ではたくさんの人が亡くなり、生き残ったのは三郎さんをはじめ、わずかな人だけでした。これは、1939(昭和14)年に三郎さんが召集された際に親族から贈られたもので、油紙に包んで大切に軍服の胸ポケットに入れていたものです。 |
展示説明文(英語) | |
資料性質 | 被爆資料 |