| 識別コード | 1106-0008 |
|---|---|
| 資料名 | 白旗 |
| 資料名(英語) | Handflag |
| 寄贈者(カナ) | 森 伊佐吉(モリ イサキチ) |
| 寄贈者(英語) | Isakichi Mori |
| 受入年月日 | |
| 寸法(幅×高さ×奥行)(mm) | 230×270 |
| 寸法(その他) | |
| 被爆地(旧町名) | |
| 被爆地(現町名) | |
| 爆心地からの距離(m) | |
| 数量 | 1 |
| 内容 | 県立広島工業学校1年生だった森光男さんは(当時13歳)、爆心地から約700メートルの中島新町(現在の中島町)で建物疎開作業中に被爆した。帰ってこない光男さんを、父の伊佐吉さんは毎日捜しに行った。避難してきた親戚や、負傷者の世話ですぐに光男さんを捜しに行くことができなかった母のイツノさんも、ようやく8日から捜しはじめ、翌9日、元安橋の下手の石段で、座っている状態で亡くなっている光男さんを見つけた。イツノさんは、自分が縫った教練袋と、焼け残った衣服と、頭のおできのあとで、光男さんと分かったという。 これは光男さんの手旗。光男さんは県工に入学した4月から手旗の練習をしていた。 光男さんの兄の克則さん(当時20歳)も、爆心地から1700メートル離れた二葉の里で被爆し、31日に自宅で亡くなった。 |
| ブロック別 | |
| 展示説明文 | 県立広島工業学校1年生だった森光男さん(当時13歳)は、爆心地から700メートルの建物疎開作業現場で被爆しました。8月9日、母のイツノさん(当時43歳)が元安橋の下手の石段に座ったまま亡くなっている光男さんを見つけました。 手旗は自宅にあったもので、工業学校入学以来練習をしていたものです。 |
| 展示説明文(英語) | Mitsuo Mori (then 13), a first-year student at Hiroshima Prefectural Industrial School, was exposed to the atomic bombing at his building demolition worksite, 700m from the hypocenter. On August 9, his mother Itsuno (then 43) found Mituso dead sitting on the stone steps at the downstream of the Motoyasu Bridge. This handflag was left at his house, and he had used it for flag signal practice since entering the industrial school. |
| 資料性質 |