識別コード | 1105-0007 |
---|---|
資料名 | 自転車の泥よけ |
資料名(英語) | Bicycle Mud Flap |
寄贈者(カナ) | 銭谷 君代(ゼニタニ キミヨ) |
寄贈者(英語) | Kimiyo Zenitani |
受入年月日 | 2004/11/24 |
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) | 60×350×60 |
寸法(その他) | |
被爆地(旧町名) | 大手町五丁目 |
被爆地(現町名) | 大手町三丁目 |
爆心地からの距離(m) | 500 |
数量 | 1 |
内容 | 広島県警察部経済保安課に勤務していた銭谷為一さん(当時37歳)は大手町五丁目(現在の大手町三丁目)にあった寮(富士寫眞館)付近で被爆した。寮は爆心地から500mの距離で、為一さんは朝回りから帰ってきたところだったと思われる。親族は実家の庄原にいた出産直後の妻君代さんには知らせず、為一さんと君代さんの親族で、為一さんを捜索するため広島に入り、寮近くでバラバラになった自転車を発見した。泥よけには為一さんの名前があり(現在は読み取れない)、近くにあった骨を遺骨として持ち帰った。一週間後、為一さんの死を知った君代さんは、周囲の反対にもかかわらず、幼い長男と長女を連れて入市したが、為一さんが生きて見つかることはなかった。この泥よけは為一さんの死を嘆き続けた君代さんが大事に保管していたもの。 |
ブロック別 | 紙屋町・本通地区 |
展示説明文 | 自転車の泥よけ 銭谷君代氏寄贈 大手町五丁目(現在の大手町三丁目) 爆心地から500m 広島県警察部に勤務していた銭谷為一さん(当時37歳)は、寮付近で被爆。親族は、出産直後の妻君代さんには知らせず、為一さんを捜すため広島に入り、寮近くで、バラバラになった自転車を発見しました。泥よけには為一さんの名前があり、近くにあった骨を遺骨として持ち帰りました。一週間後、為一さんの死を知った君代さんは、幼い長男と長女を連れて入市しましたが、為一さんが生きて見つかることはありませんでした。この泥よけは、君代さんが大事に保管していたものです。 |
展示説明文(英語) | |
資料性質 | 被爆資料 |