識別コード | 1105-0001 |
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資料名 | 三輪車 |
資料名(英語) | Tricycle |
寄贈者(カナ) | 銕谷 信男(テツタニ ノブオ) |
寄贈者(英語) | TETSUTANI Nobuo |
受入年月日 | 1985/09/06 |
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) | 450×475×360 |
寸法(その他) | |
被爆地(旧町名) | 東白島町 |
被爆地(現町名) | 東白島町 |
爆心地からの距離(m) | 1500 |
数量 | 1 |
内容 | 銕谷信男さんの長男伸一ちゃん(当時3歳11か月)は、東白島町の自宅前で、三輪車に乗って遊んでいるときに被爆した。全身に火傷を負い、「水、水・・・」とうめきながらその夜死亡した。翌日自宅焼け跡で長女路子ちゃん(当時7歳)、次女洋子ちゃん(当時1歳)の遺骨を見つけた信男さんは、伸一ちゃんの遺体を焼く気になれず、一緒に遊んでいて死んだ近所の女の子と手をつながせ、焼け焦げた三輪車と共に庭に葬った。被爆40年目に墓所に移す決心をして堀り起こし、葬式をした。 |
ブロック別 | 基町・白島地区 |
展示説明文 | 銕谷伸一ちゃん(当時3歳11か月)は、三輪車乗りが大好きでした。あの日の朝も、自宅の前で遊んでいました。その時です。ピカッと光り、伸一ちゃんと三輪車は焼かれてしまい、伸一ちゃんはその夜死亡しました。お父さんは、たった3歳の子を一人お墓にいれても、さびしがるだろうと思いました。そこで、死んでからも遊べるようにと伸一ちゃんの亡骸とこの三輪車を一緒に自宅の裏庭に埋めたのです。 それから40年が過ぎた1985年(昭和60年)の夏、お父さんは、伸一ちゃんの遺骨を庭から掘り出して、お墓に納めました。伸一ちゃんの遊び相手だったこの三輪車は、平和記念資料館に寄贈されました。 |
展示説明文(英語) | Shinichi Tetsutani (then 3 years and 11 months) loved to ride this tricycle. That morning, he was riding in front of his house when, in a sudden flash, he and his tricycle were badly burned. He died that night. His father felt he was too young to be buried in a lonely grave away from home, and thinking he could still play with the tricycle, he buried Shinichi with the tricycle in the backyard. In the summer of 1985, forty years later, his father dug up Shinichi's remains and transferred them to the family grave. This tricycle, after sleeping for 40 years in the backyard with Shinichi, was donated to the Peace Memorial Museum. |
資料性質 | 被爆資料 |