識別コード 1102-0011
資料名 金庫
寄贈者(カナ) 株式会社 有文社 中野博文(カブシキガイシャ ユウブンシャ ナカノヒロフミ)
受入年月日 2014/1/17
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 650×935×595
被爆地(旧町名) 大手町四丁目
被爆地(現町名) 大手町二丁目
爆心地からの距離(m) 400
数量 1
内容 大手町四丁目にあった有文社にあった金庫。被爆により会社は全焼、社長の久保原章さんやその家族、従業員などが亡くなった。陸軍軍人として埼玉県にいたため無事だった長男の久保原弘さんが、7日後に入市し、焼け跡で遺骨を確認した。翌1946年(昭和21年)に会社を復興した弘さんは、1999年(平成11年)に亡くなるまで、この金庫を大切にしていた。
ブロック別 紙屋町・本通地区
展示説明文 金庫
寄贈/株式会社 有文社 中野博文[ユウブンシャ ナカノヒロフミ]
爆心地から400m 大手町[オオテマチ]四丁目(現在の大手町二丁目)
印刷会社・有文社にあった金庫です。被爆により会社は全焼、社長の久保原章[クボハラ アキラ]さんやその家族、従業員などが亡くなりました。県外にいたため無事だった長男の久保原弘[ヒロシ]さんが、7日後に入市し、焼け跡で遺骨を確認しました。会社を再建した弘さんは、1999(平成11)年に亡くなるまで、この金庫を使っていました。
展示説明文(英語) Safe
Donated by Hirofumi Nakano, Yubunsha Co., Ltd.
400m from the hypocenter Ote-machi 4-chome (now, Ote-machi 2-chome)
This safe was at a printing company, Yubunsha Co., Ltd. The building was burned to the ground in the bombing and Akira Kubohara, the president, his family, and all of his employees died. His oldest son, Hiroshi, who was safe because he had been living in another prefecture, entered Hiroshima a week after the atomic bombing and was able to confirm the remains found in the burned out ruins. Hiroshi rebuilt the company and continued to use this safe until he died in 1999.
資料性質 被爆資料


Page Top