識別コード 1102-0004
資料名 手提金庫
資料名(英語) Portable safe
寄贈者(カナ) 岡野 重次郎(オカノ ジュウジロウ)
寄贈者(英語) Jujiro Okano
受入年月日 1959/04/16
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 335×140×235
被爆地(旧町名) 猿楽町
被爆地(現町名) 大手町一丁目
爆心地からの距離(m) 80
数量 1
内容 猿楽町にあった岡重商店の地下室にあったもので、被爆後、店の跡地へバラックを建てて住んでいたときに見つけた。自宅は店に隣接していたが、次女の学童疎開をきっかけに吉見園の別宅へ移っていたため、幸い家族は無事だった。しかし、店では社員など2人が亡くなった。
ブロック別 平和記念公園・周辺地区
展示説明文 猿楽町の岡重商店の地下室にあったものです。社長の岡野重次郎さんの家は店に隣接していましたが、次女の学童疎開をきっかけに佐伯郡五日市町の別宅に移ったため、家族は全員被爆をまぬがれました。しかし、店は全焼し、社員と取引先の人が亡くなりました。被爆後の広島では「お宅ではどなたが亡くなりましたか?」ということばがあいさつのように言われていましたが、多くの人が家族を失っている中で、「うちは全員無事でした。」と答えるのがつらかったと重次郎さんは話していたそうです。
展示説明文(英語) The safe stood on the underground level of Okaju Store in Sarugaku-cho. President Jujiro Okano's house was attached to the store. When their second daughter departed Hiroshima for her school evacuation, they moved to their other house in Itsukaichi-cho, Saeki-gun. Thus, all family members survived. The store, however, was completely destroyed, with some staff and customers. After the bombing, the question “Who died in your family?”was a regular greeting in Hiroshima. When so many had lost family members, Jujiro found it hard to respond, “Everyone in my family was spared.”
資料性質 被爆資料


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