識別コード | 1101-0009 |
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資料名 | 鏡台の鏡 |
資料名(英語) | Dressing Table Mirror |
寄贈者(カナ) | 田中 幸子(タナカ ユキコ) |
寄贈者(英語) | |
受入年月日 | 1999/04/07 |
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) | 320×935×20 |
寸法(その他) | |
被爆地(旧町名) | 研屋町 |
被爆地(現町名) | 紙屋町一丁目 |
爆心地からの距離(m) | 350 |
数量 | 1 |
内容 | 寄贈者田中幸子さんの母、土生峰子さん(当時36才)の遺品。 当時、研屋町の自宅には峰子さん一人がいた。幸子さんは祖父と共に牛田の家にいたが、祖父は研屋町から逃げてきた男性に、「研屋町は全滅だ」と聞かされたという。数日後、伯父(母の兄)が研屋町の家の焼き跡に行き、母の遺骨と、この鏡を持ち帰ってきた。火災の熱で地面はまだ熱かったという。母は仏間で亡くなっていた。この鏡は母が生前愛用していたもので、研屋町の家で唯一残った品である。 |
ブロック別 | 紙屋町・本通地区 |
展示説明文 | 母親の土生峰子さん(当時36才)の遺品。鏡は被爆から数日後、伯父が、火災の熱で地面がまだ熱かった焼け跡から、遺骨とともに持ち帰ったもので、峰子さんが生前愛用していました。自宅で唯一残った品です。峰子さんは自宅の仏間で亡くなっていました。 |
展示説明文(英語) | Yukiko inherited this mirror from her mother Mineko Habu (then 36). A few days after the A-bombing, Yukiko’s uncle found it in the still-smoldering ruins of her house. He brought it home with her remains. The mirror, which Mineko used every day, was the only recognizable object left in the house. Mineko died near the family’s Buddhist altar. |
資料性質 | 被爆資料 |