識別コード | 9301-0141 |
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資料名 | 罹災証明書 |
資料名(英語) | Disaster certificate |
寄贈者(カナ) | |
寄贈者(英語) | |
受入年月日 | 2012/04/02 |
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) | 178×250 |
寸法(その他) | |
被爆地(旧町名) | |
被爆地(現町名) | |
爆心地からの距離(m) | |
数量 | 1 |
内容 | 県立広島工業学校2年生(当時16歳)だった寄贈者の罹災証明書。「昭和20年8月17日広島陸軍兵器補給廠長 田山吉治」発行。朝の点呼中だった寄贈者は、学徒動員先である爆心地から約3㎞の広島陸軍兵器補給廠で被爆した。爆風により、6~7m飛ばされ、数人と折り重なった状態で失神していた。帽子や着衣は引きちぎれ、左ももにはガラス片が突き刺さっていた。寄贈者の背の高さくらいより上は、巻き上げられた埃やゴミの層がものすごい高さまで延々と続いており、遠くは全く見えず、寄贈者は恐怖を感じた。被爆から1~2時間たつと、救護を求める人々が続々とやってきた。被災者たちは、「みずがほしい、みずがほしい」と口々に訴えていた。「お兄ちゃん、お水が欲しいよ」と訴えたひん死の子どもに、飲ませてはいけないと言われていたため、水をあげることができなかったことを、寄贈者は今でも悔やんでいる。9月15日まで救護活動や、トラックで遺体を運び積み重ねて焼く、悲惨な作業にあたった。9月に広島から実家に帰郷し、発熱、食欲不振などの症状が1年ほど続いた。 |
ブロック別 | |
展示説明文 | 罹災証明書 寄贈/個人 資料の持ち主は、被爆当時、県立広島工業学校2年生(16歳)で、学徒動員先の広島陸軍兵器補給廠(爆心地から約2,860m)で朝の点呼中に被爆しました。爆風で吹き飛ばされ、帽子や着衣は引きちぎられ、左ももにはガラス片が突き刺さりました。数人が折り重なった状態で気を失い、気付いた時には、巻き上げられたほこりやさまざまなものがものすごい高さまで延々と続いて、遠くはまったく見えず恐怖を感じました。やがて救護を求める人が続々と逃れてきて、誰もが「水が欲しい、水が欲しい」と口々に訴えました。水を飲ませてはいけないと言われ、「お兄ちゃん、お水が欲しいよ」とすがる瀕死の子どもに、水を飲ませることができなかった悔いは、今でも心から消えることはありません。 |
展示説明文(英語) | Disaster certificate Private donor The original holder of this certificate was a second-year student (then, 16) at Hiroshima Prefectural Technical School who had been mobilized to the Hiroshima Army Ordnance Supply Depot (approx. 2,860m from the hypocenter). He experienced the bombing during morning roll call. He was blown back by the blast and lost consciousness in a pile of bodies. His hat and clothing were ripped apart, and glass shards pierced his left thigh. When he regained consciousness, a cloud of dust and other debris was rising high into the sky. Unable to see faraway, he felt afraid. After a while, people seeking refuge started to arrive, all of them asking for water. He recalls, “We were told not to give them any water. A young boy on the verge of death begged me for water, and to this day I still regret that I couldn't let him have any.” |
資料性質 | 被爆関連資料 |