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被爆資料

識別コード 9202-0853
資料名 はがき
資料名(英語)
寄贈者(カナ) 松脇 啓(マツワキ アキラ)
寄贈者(英語) MATSUWAKI Akira
受入年月日 2020/12/26
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 89×141
寸法(その他)
被爆地(旧町名)
被爆地(現町名)
爆心地からの距離(m)
数量 1
内容 寄贈者の父・松脇悟(さとる)さんの兄から悟さんへ宛てたもの。10月14日付。運動会や秋祭りが開催されるので、是非訪れて欲しいことなどが記されている。
松脇さん一家は全員が被爆。
煎茶道・華道の草庵流初代家元の悟(さとる)さん(当時50歳)は、幟町の自宅で被爆。倒壊した家の下敷となり、そのまま亡くなったと思われる。その後、火災が発生して自宅は焼失し、焼け跡から悟さんの遺骨が見つかった。
寄贈者の啓(あきら)さん(当時16歳)は、修道中学校4年生で、動員先の江波の三菱重工業㈱広島造船所で被爆。炸裂の瞬間青白い光を感じ、爆風で倒れた。その後、這うようにして建物の外へ出たが、何が起きたのかはまったくわからず、放心状態で座り込んでいた。
しばらくして自宅に戻るようにという指示があり、市街へ出ると、傷ついた人々、やけどを負い体が膨れた人々を目撃し、生きた心地がしなかった。自宅のあった幟町方面は火災で帰ることができないことを知り、やっとの思いで佐伯郡五日市町にあった親戚宅に辿り着いた。
母親のタカさん(当時33歳)は、自宅の風呂場で洗濯中に被爆。ガラス片で腕に数か所切り傷を負いながらも倒壊した家から脱出した。倒れた家の前でしゃがんでいたところ、通りがかりの人に牛田方面へ連れて行ってもらい、火災に巻き込まれるのを免れた。
兄の等さん(当時18歳)は被爆当時、広島工業専門学校の生徒で、当日の朝早く「本屋へ行く」と出て行ったまま行方不明となった。長い間消息が分からなかったが、警察の記録が公開されたときに堀川町の廣文館書店で遺体が収容された、とあった。
弟の學(まなぶ)さん(当時12歳)は、修道中学校1年生で、両親とともに自宅で被爆。原爆投下後、「あつい!!」と學さんが言ったのを母親のタカさんは聞いたが、タカさん自身も傷つき、牛田方面へ連れられて避難したため、學さんがその後どうなったのかは分からない。後日、自宅の焼け跡の近くで學さんのものではないかと思われる遺骨が見つかった。
ブロック別
展示説明文
展示説明文(英語)
資料性質 被爆関連資料

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