識別コード | 9202-0620 |
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資料名 | 手紙 |
資料名(英語) | |
寄贈者(カナ) | 込山 照秋(コミヤマ テルアキ) |
寄贈者(英語) | KOMIYAMA Teruaki |
受入年月日 | 2015/04/20 |
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) | 330×216 |
寸法(その他) | |
被爆地(旧町名) | |
被爆地(現町名) | |
爆心地からの距離(m) | |
数量 | 1 |
内容 | 寄贈者の伯父・込山勝さんは1941年(昭和16年)に召集され、東南アジア方面の部隊に配属されていた。これらは、勝さんが戦地から妻のシヅキさんや妹ら家族に宛てたもの。1944年(昭和19年)11月下旬、マラリアに罹患して日本に帰り大阪や広島の病院で治療を受けていた勝さん(当時35歳)は、1945年(昭和20年)7月31日、中国軍管区砲兵補充隊に転属となり8月6日は広島市内で警備に従事していたが、原爆の投下により亡くなった。山県郡加計町にいた妻のシヅキさんは、閃光を感じ、いろんな紙切れが飛んでくる中、山県郡戸河内町の自宅に急ぎ帰宅した。空は真っ赤で黒煙があがり、人の話では広島に大きな爆弾が落とされ全滅だということだった。 勝さんの身を案じ、翌7日早朝、勝さんの兄らが広島市内へ向かい方々捜索したが、全然消息はつかめない、と8日夕方帰宅した。あきらめきれず、シヅキさんは、10日早朝、妹と共に広島へ向かい、各地を捜しまわったがどうしても勝さんの行方は分からなかった。途方に暮れていたところ、大手町付近で突然知人に出会っていろいろ様子を聞き、勝さんも生きてはいられなかったであろうと悟り、13日夕方シヅキさんらは広島を後にした。 これは、生前の勝さんが込山文江さんに宛てたもの。4月8日付。ビルマにて。 |
ブロック別 | |
展示説明文 | |
展示説明文(英語) | |
資料性質 | 被爆関連資料 |