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被爆資料

識別コード 9202-0290
資料名 手紙
資料名(英語) Letters
寄贈者(カナ) 瀧本 禎子(タキモト サダコ)
寄贈者(英語) Sadako Takimoto
受入年月日 2004/04/28
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 175×222
寸法(その他) 84×205(封筒)
被爆地(旧町名)
被爆地(現町名)
爆心地からの距離(m)
数量 便箋1 封筒1
内容 市立第一高等女学校1年6組の武内多満惠さん(当時13歳)は、爆心地から約550メートルの学徒動員先である建物疎開作業現場(木挽町付近)で被爆した。母親のトモさん(当時38歳)は、8月7日、長男(当時1歳)を背負って、帰らぬ多満惠さんを捜しに入市した。たくさんの遺体の中を捜し歩いた末、川土手の斜面で男性教師の脇の下に上向きに倒れている多満惠さんの遺体を発見した。両手両足は火傷を負っていたが、顔や服はほとんど焼けていなかった。遺体をどうしても連れ帰ることができず、胸の名札を遺骨代わりに持ち帰った。1945(昭和20)年7月10日付けのこの手紙は、学童疎開中の妹禎子さん(当時8歳)に多満惠さんが書き送ったもの。
ブロック別
展示説明文 市立第一高等女学校1年6組の武内多満惠さん(当時13歳)は、爆心地から500メートルの材木町の建物疎開作業現場で被爆。母親のトモさん(当時38歳)は、8月7日、長男(1歳)を背負って多満惠さんを捜し、川土手の斜面で男性教師の脇の下に上向きに倒れている多満惠さんの遺体を発見しました。両手両足はやけどを負っていましたが、顔や服はほとんど焼けていませんでした。トモさんは遺体を連れ帰ることができず、胸の名札を遺骨代わりに持ち帰りました。1945(昭和20)年7月10日付けのこの手紙は、学童疎開中の妹禎子さん(当時8歳)あてに多満惠さんが送ったものです。
展示説明文(英語)
資料性質 被爆関連資料

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