識別コード | 9202-0895 |
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資料名 | 手紙 |
資料名(英語) | |
寄贈者(カナ) | 武鑓 正勝(タケヤリ マサカツ) |
寄贈者(英語) | TAKEYARI Masakatsu |
受入年月日 | 2021/10/15 |
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) | |
寸法(その他) | 手紙210×136(2)、封筒86×209(1) |
被爆地(旧町名) | |
被爆地(現町名) | |
爆心地からの距離(m) | |
数量 | 3 |
内容 | 寄贈者の叔父・岡田俊治さん(当時22歳)は、陸軍兵科見習士官として所属していた基町の中国軍管区輜重兵補充隊で被爆。頭部を負傷し、顔と両手にやけどを負って、広島第一陸軍病院戸坂分院に収容された俊治さんは、8月14日未明に亡くなった。 知らせを受けた俊治さんの母と叔父が実家のあった岡山県から駆け付けたのは、すでに俊治さんが息を引き取った後の8月14日の朝だった。俊治さんは教室の床に寝かされ、両手は胸の上で合され、顔には白い布がかけられていた。 母・堺さんらは、川沿いの田んぼの中の火葬場で俊治さんの遺体を焼き、翌15日朝、遺骨を抱いて岡山県の実家に戻った。病気のため実家で待っていた父・三代治さんは息子の骨壺を抱えて号泣し、遺骨は埋葬されることなく、3年間そばに置かれていた。 生前の俊治さんは優しい人柄で、学生時代はサッカーに熱中。文学や美術に親しみ、読書や映画が好きで、将来は映画監督か脚本家になる夢を抱いていた。 この手紙は俊治さんが広島の部隊から父・三代治さんに宛てて書いたもの。1945年(昭和20年)6月26日付。いずれどこかへ行くことになるだろうが、今は好きな本を読んだり、映画を見たり、のんびり過ごしていることなどを伝えている。 |
ブロック別 | |
展示説明文 | |
展示説明文(英語) | |
資料性質 | 被爆関連資料 |