地図 "吉島・舟入・観音地区" で 376 件検索されました。
一覧表の項目欄をクリックすると、並び替えが可能です。背景が異なっている項目が現在並び替えの基準となっています。
検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
---|---|---|---|---|---|---|
261 | ![]() |
GE28-31 | 燃える町と家の間取り図 | 河野 か津(コウノ カツ) | 1945/8/6 | 観音本町 |
262 | ![]() |
GE26-10 | 燃える町と黒い雨、被災者の群れ | 河野 か津(コウノ カツ) | 1945/8/6 | 吉島陸軍飛行場 |
263 | ![]() |
SG-0534 | 爆心より遠く遠く『生きたい』 | 横田 礼右(ヨコタ ヒロスケ) | 1945/8/6 | 南観音町 |
264 | ![]() |
NG172-05 | 爆音のした後、庭にたくさんのビラが落ちてきた「バクダンヲオトス ハヤクニゲナサイ」と書かれてあった。 | 楢原 裕子(ナラハラ ヒロコ) | 1945/7/中旬 | 水主町の自宅 |
265 | ![]() |
GE18-05 | 爆風 | 川口 シマ子(カワグチ シマコ) | 1945/8/6 | 広島第一陸軍病院江波分院 |
266 | ![]() |
GE10-44 | 爆風で飛び散ったガラスで大小30数カ所のけがをした兄 | 辰井 博務(タツイ ヒロム) | 1945/8/6 | 観音本町一丁目 |
267 | ![]() |
GE30-26 | 爆風で飛び散った板くずの中のたくさんの死体 | 小林 みつ(コバヤシ ミツ) | 1945/8/8 | 住吉橋 |
268 | ![]() |
GE24-07 | 父の逃げた道 | 二川 一夫(ニカワ カズオ) | 1945/8/6 | 観音橋~佐伯郡河内村 |
269 | ![]() |
SG-0106 | 父を焼く息子 | 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ) | 被爆後の十月中頃(1945/10/中頃) | 江波旧陸軍射撃場 |
270 | ![]() |
NG377-01 | 猛火で避難先に行くことができず、本川につないであった舟の中で一夜を明かした。 | 山本 弘子(ヤマモト ヒロコ) | 1945/8/6 | 住吉橋東詰 |
271 | ![]() |
GE44-02 | 猛火の中、逃げる人の群 | 竹内 初二(タケウチ ハツジ) | 1945/8/6 | 水主町 |
272 | ![]() |
NG183-11 | 田舎からお母さんが看病に来てくれた。 | 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) | 舟入病院 | |
273 | ![]() |
NG087 | 町内会で焼け跡から死体を収容し荷車や戸板に乗せて火葬するために江波の陸軍射的場に運ぶ。 | 宗田 勝(ムネタ マサル) | 1945/8/8 | 舟入本町~舟入川口町南 |
274 | ![]() |
GE38-26 | 畑にトタン板を置いてその上に死んだ母親を乗せ火葬する。 | 楠田 フミ子(クスダ フミコ) | 1945/8/16 | 広島刑務所の近くの本川沿い |
275 | ![]() |
NG143-03 | 畑や道端には多くの人が折り重なって倒れていた。噴煙、粉塵の中から次々に避難して来る人が現れる。 | 渡邉 昭惠(ワタナベ アキエ) | 1945/8/6 | 倉敷航空機株式会社広島製作所付近 |
276 | ![]() |
GE29-46 | 目撃した火柱 | 楠見 ハツエ(クスミ ハツエ) | 1945/8/6 | 舟入川口町 |
277 | ![]() |
NG183-17 | 看護婦さんがカーテンを引き裂いて応急処置をしてくれた。 | 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) | 1945/8/6 | 舟入病院 |
278 | ![]() |
WH01-016 | 県立広島病院 | 紀川 良子(キガワ ヨシコ) | 県立広島病院 | |
279 | ![]() |
WH03-017 | 県立広島病院 | 沖元 嘉造(オキモト カゾウ) | 1945年(昭和20年)2月頃 | 県立広島病院 |
280 | ![]() |
WH05-012 | 県立広島病院近くの川辺 | 紀川 良子(キガワ ヨシコ) | 県立広島病院近くの川辺 |