地図 "吉島・舟入・観音地区" で 376 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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1 | SG-0332 | 1945(昭和20)年8月6日午前8時20分頃の光景 | 上野 求(ウエノ モトム) | 1945/8/6 | 三菱重工業の工場 | |
2 | NG013-10 | 1カ月以上川を漂っていた女学生の遺体を、浜に引き上げ、砂の中に埋葬する。 | 高本 正義(タカモト マサヨシ) | 1945/9/12 | 天満川河口付近、三菱重工業広島機械製作所前 | |
3 | NG013-09 | 1カ月以上川を漂っていた女学生の遺体をかわいそうに思い引き上げる。 | 高本 正義(タカモト マサヨシ) | 1945/9/12 | 天満川河口付近、三菱重工業広島機械製作所前 | |
4 | NG013-07 | 1カ月経っても女学生の遺体は船から離れない。足が無くなり、首と胴体だけになる。 | 高本 正義(タカモト マサヨシ) | 1945/9/7 | 天満川河口付近、三菱重工業広島機械製作所前 | |
5 | NG141 | 7カ月の身重だった私は1歳2カ月の長女と二人家屋の下敷きになる。長女は8月29日に死亡する。 | 梶野 清子(カジノ キヨコ) | 1945/8/6 | 舟入町 天満川川岸 | |
6 | SG-0503 | 8時15分、突然の爆風で | 横田 礼右(ヨコタ ヒロスケ) | 1945/8/6 | 南観音町・社宅 | |
7 | SG-0502 | 8月6日午前8時、社宅の我が家の朝食の絵 | 横田 礼右(ヨコタ ヒロスケ) | 1945/8/6 | 南観音町・社宅 | |
8 | NG143-01 | 「アッ!B29が何か白いものを落とした」と言う声に窓から上空を見ると機影とそれらしき物が目に写った。 | 渡邉 昭惠(ワタナベ アキエ) | 1945/8/6 | 倉敷航空機株式会社広島製作所 | |
9 | NG357 | 「助けると思うて私の背中におしっこをしてくださらんか。」とやけどした高齢の女性に頼まれた。 | 平川 林木(ヒラカワ リンボク) | 1945/8/6 | 吉島飛行場北東部 | |
10 | GE41-24 | 「死の水を求めて」川岸の石段に水を求めつみ重なって死んだ人々 | 内田 豊(ウチダ ユタカ) | 1945/8/9 | 水主町の川岸 | |
11 | SG-0561 | 「生き残った人と死んだ人」 | 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ) | 1945/8/6 | 南大橋東詰から対岸の吉島羽衣町 | |
12 | GE14-15 | あたりは暗く手さぐりでさまよう私。気絶している母を起こし、妹を捜す。 | 小笠原 春子(オガサワラ ハルコ) | 1945/8/6 | 舟入仲町 | |
13 | GE24-26 | いかだと暁部隊の船、燃える電柱 | 道田 芳江(ミチダ ヨシエ) | 1945/8/6 | 住吉橋 | |
14 | GE06-12 | いかだに乗って避難する子供と、必死で叫ぶ乗り遅れた親 | 道田 芳江(ミチダ ヨシエ) | 1945/8/6 | 住吉橋下流 | |
15 | NG183-15 | おかあさんの呼ぶ声に必死に明るい方へと行きくずれた屋根の上に出た。 | 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) | 1945/8/6 | 舟入病院 | |
16 | SG-0735 | おっちゃんのカルメ焼き | 尾崎 稔(オザキ ミノル) | 1940頃 | ||
17 | WH14-066 | おもちゃ売りのおじさん | 小笠原 春子(オガサワラ ハルコ) | 昭和13年 | 舟入中町 | |
18 | SG-0189 | お昼ご飯をいただく | 森 孝人(モリ タカト)、森 蓮枝(モリ ハスエ) | 1945/8/7 | 吉島本町軍事教官黒沢大佐宅 | |
19 | WH14-082 | お餅売り 魚屋さん | 小笠原 春子(オガサワラ ハルコ) | 昭和13年頃 | 舟入仲町 | |
20 | NG154 | きのこ雲は猛烈な勢いで空に吹き上がり、その根元からは乳白色の輪が波打ちながら広がっていった。 | 岡田 守(オカダ マモル) | 1945/8/6 | 三菱重工業広島造船所 |