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トップページ原爆の絵地図 "吉島・舟入・観音地区"

原爆の絵

地図 "吉島・舟入・観音地区" で 376 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
61 GE36-36 焼けただれた電車と死体 菊田 良三(キクタ リョウゾウ) 1945/8/10 舟入幸町
62 GE37-37 軍人の白いシャツが死体からのハエで黒くなっている 上田 良三(ウエダ リョウソウ) 1945/8/10 舟入町付近(江波線の電車通り)
63 GE39-42 電車にはられた必勝のポスター 松永 虎槌(マツナガ トラヅチ) 1945/8/10 陸軍兵器学校広島分教所付近
64 NG013-02 川を流れる遺体は3人、その中にモンペの女学生がいた。 高本 正義(タカモト マサヨシ) 1945/8/10 天満川河口付近、三菱重工業広島機械製作所前
65 NG425 電車通りにトタン屋根で作られた応急の救護所。顔も体も赤黒く皆同じように見えた。 山中 雅夫(ヤマナカ マサオ) 1945/8/10 土橋から江波に向かう電車通り
66 NG431-02 路面電車のレール軌道内に横になっていた人たち。老若、男女、生き死にもわからなかった。 朝信 澄子(アサノブ スミコ) 1945/8/10 舟入の電車通り
67 NG431-03 くずれた赤レンガを起こしたら髪の毛のついた頭皮がくっついていて、まだ煙が出ていた。 朝信 澄子(アサノブ スミコ) 1945/8/10 木挽町
68 GE07-20 救護所で40数針ぬってもらう。水、水という声が聞こえる。 嘉屋 文子(カヤ フミコ) 1945/8/10頃 三菱重工業広島造船所
69 GE04-23 幼児の死体を焼場に運ぶ兵隊、はみ出した手足がぶらぶらゆれている 松永 虎槌(マツナガ トラヅチ) 1945/8/11 広島第一陸軍病院江波分院
70 GE05-09 被爆者収容所で父母の名を叫びながら息たえだえの学徒達 有木 絢子(アリキ アヤコ) 1945/8/11 舟入
71 GE17-29 子供と話す兵隊 松永 虎槌(マツナガ トラヅチ) 1945/8/11 広島第一陸軍病院江波分院付近
72 GE25-30 県立広島第二中学校の校庭で二男の遺体を運んで焼く 満田 義忠(ミツダ ヨシタダ) 1945/8/11 県立二中校庭
73 GE39-03 食事を被災者に配る 松永 虎槌(マツナガ トラヅチ) 1945/8/11 江波
74 NG332-04 近所の女学校の塀には生徒の名前が書かれその下には遺骨をのせた瓦が並べてあった。 小間 義衛(コマ ヨシエ) 1945/8/11 東観音町二丁目
75 GE38-26 畑にトタン板を置いてその上に死んだ母親を乗せ火葬する。 楠田 フミ子(クスダ フミコ) 1945/8/16 広島刑務所の近くの本川沿い
76 NG013-03 川の遺体はカスリのモンペの女学生ひとりになった。 高本 正義(タカモト マサヨシ) 1945/8/16 天満川河口付近、三菱重工業広島機械製作所前
77 GE40-14 羽田別荘東側に並べられた瓦の上の遺骨 吉長 義唯(ヨシナガ ヨシタダ) 1945/8/20過ぎ 舟入町羽田別荘
78 GE06-27 川に浮かぶ死体や牛、焼けただれ黒焦げになって死んだ人々 楠田 フミ子(クスダ フミコ) 1945/8/20頃 住吉橋
79 NG190-03 焼け跡にバラック小屋を建てて家族4人で暮らす。夜は大きな煙突が恐ろしかったが、星はきれいだった。 佐々木 澄江(ササキ スミエ) 1945/8/20頃 西観音町の缶詰工場の焼け跡
80 NG013-04 船から離れない女学生の遺体を沖へ流そうと棒で押し出すがまた戻ってくる。 高本 正義(タカモト マサヨシ) 1945/8/28 天満川河口付近、三菱重工業広島機械製作所前

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