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トップページ原爆の絵地図 "吉島・舟入・観音地区"

原爆の絵

地図 "吉島・舟入・観音地区" で 376 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
221 NG324-02 川の中に数百という白い死体が底の砂に足で線を引きながらゆっくりと流れていった。 林 隆(ハヤシ タカシ) 1945/8/7 住吉橋
222 NG332-01 泥のような黒い雨が降る。倒壊した家からは火の手があがり、あちこちから子どもを呼ぶ声がした。 小間 義衛(コマ ヨシエ) 1945/8/6 東観音町二丁目
223 NG332-02 橋のたもとではやけどした子どもたちが泣いていた。泳いで逃げようと材木を集めて浮かべ川に入った。 小間 義衛(コマ ヨシエ) 1945/8/6 観船橋付近
224 NG332-03 周囲は火の海となり、火の粉と熱い風に悩まされながら潮が引くのを待った。負傷者が集まり水を求めていた。 小間 義衛(コマ ヨシエ) 1945/8/6 観音橋
225 NG332-04 近所の女学校の塀には生徒の名前が書かれその下には遺骨をのせた瓦が並べてあった。 小間 義衛(コマ ヨシエ) 1945/8/11 東観音町二丁目
226 NG335-04 川には無数の死体が浮かび、水をあげられなかった少女たちも川に飛び込むのではないかと悔やまれた。 原田 敬二(ハラダ ケイジ) 1945/8/6 住吉橋
227 NG344-01 まるで太陽が落ちてきたように窓ガラスが真っ赤になった。この後同時にすごい爆風音でとっさに身を伏せた。 渡邊 昭三(ワタナベ ショウゾウ) 1945/8/6 三菱重工業広島造船所
228 NG344-02 横たわる負傷者は衣類はボロボロで瀕死の状態。口元に乾パンと水を差し出すが受け付けない。 渡邊 昭三(ワタナベ ショウゾウ) 1945/8/7 昭和大橋付近
229 NG355 負傷者で橋はいっぱいだった。その中で助けを求める中年の女性の姿と叫び声が忘れられない。 加藤 久男(カトウ ヒサオ) 1945/8/6 住吉橋
230 NG357 「助けると思うて私の背中におしっこをしてくださらんか。」とやけどした高齢の女性に頼まれた。 平川 林木(ヒラカワ リンボク) 1945/8/6 吉島飛行場北東部
231 NG375-01 祖母は家の下敷きになっていて助けようとしたが返事もない。火が迫りなす術もなく手を合わせて逃げた。 沖 信枝(オキ ノブエ) 1945/8/6 観音本町の自宅
232 NG377-01 猛火で避難先に行くことができず、本川につないであった舟の中で一夜を明かした。 山本 弘子(ヤマモト ヒロコ) 1945/8/6 住吉橋東詰
233 NG377-02 干潮のため傾いた舟から出てみると皆並んだまま息絶えていた。顔が同じように丸くふくれていた。 山本 弘子(ヤマモト ヒロコ) 1945/8/7 住吉橋東詰
234 NG388 壊れた家屋の下敷きになった人、子どもを抱いて死亡している母親、やけどした手を前に出して避難する人。 北升 喜蔵(キタマス キゾウ) 1945/8/6 水主町
235 NG400-01 学校より東方を望む。広島の空は火災で真っ赤だった。 匿名 1945/8/6 市立第二国民学校
236 NG400-02 缶詰工場跡で缶詰がポーンと爆発して飛び上がり頭上に落ちるのをトタンで避けながら缶詰を拾う人々。 匿名 1945/8/7 舟入町付近
237 NG412-02 どしゃ降りの黒い雨の中で救助活動をする。倒壊した建物の中から助けてと声がする。 多田 好一(タダ ヨシカズ) 1945/8/6 西隣保館
238 NG425 電車通りにトタン屋根で作られた応急の救護所。顔も体も赤黒く皆同じように見えた。 山中 雅夫(ヤマナカ マサオ) 1945/8/10 土橋から江波に向かう電車通り
239 NG431-02 路面電車のレール軌道内に横になっていた人たち。老若、男女、生き死にもわからなかった。 朝信 澄子(アサノブ スミコ) 1945/8/10 舟入の電車通り
240 NG431-03 くずれた赤レンガを起こしたら髪の毛のついた頭皮がくっついていて、まだ煙が出ていた。 朝信 澄子(アサノブ スミコ) 1945/8/10 木挽町

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