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トップページ原爆の絵地図 "吉島・舟入・観音地区"

原爆の絵

地図 "吉島・舟入・観音地区" で 376 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
161 NG183-17 看護婦さんがカーテンを引き裂いて応急処置をしてくれた。 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) 1945/8/6 舟入病院
162 NG183-18 逃げていく途中、一人の兵隊さんが、誰か誰か水を下さいと叫んでいた。目や腕をやられ血だらけだった。 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) 1945/8/6 舟入病院付近
163 NG183-19 水道がこわれ水が吹き出ていたので、それを飲ませてあげた。おいしいとつぶやいて兵隊さんは亡くなった。 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) 1945/8/6 舟入病院付近
164 NG183-20 振り返ると私たちのいた病院は火の手が上がっていた。川向こうの方も火が燃えていた。 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) 1945/8/6 舟入病院から江波までの天満川沿い
165 NG183-21 対岸では逃げ場を失った人たちが川に飛び込んでいた。早く早くとかばいあいながら逃げた。 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) 1945/8/6 舟入病院から江波までの天満川沿い
166 NG183-22 やけどやけがをしたたくさんの人たちが逃げてきた。ニワトリも羽が焼けた哀れな姿で走り回っていた。 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) 1945/8/6 舟入病院から江波までの天満川沿い
167 NG183-23 やっとのことで広島第一陸軍病院江波分院にたどりつき受付をして入れてもらう。 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) 1945/8/6 広島第一陸軍病院江波分院
168 NG183-24 昭ちゃんは赤痢だったので物置のようなところへ入れられた。電灯もない真っ暗な中で一晩過ごした。 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) 1945/8/6 広島第一陸軍病院江波分院
169 GE40-04 担架で運ばれる人、傷つきながらも負傷者の応急手当をする兵隊 山岡 トシコ(ヤマオカ トシコ) 1945/8/6 県綜合グラウンド
170 GE12-26 電車通りにできた救護所のようす 山岡 文子(ヤマオカ フミコ) 1945/8/9~8/14 神崎国民学校前の電車通り
171 GE01-22 私にすがって水をくれと言った重傷の人 山崎 佐世子(ヤマサキ サヨコ) 1945/8/6 江波方面
172 GE04-43 大八車で運ばれる私と道端の焼け焦げた中年婦人の死体 山崎 佐世子(ヤマサキ サヨコ) 1945/8/9 舟入国民学校校庭から観音の川土手に向う途中
173 GE38-45 炎の中で黒焦げになっている義兄をどうすることもできずに見る。 山崎 佐世子(ヤマサキ サヨコ) 1945/8/6 舟入幸町の自宅付近
174 WH13-048 住吉橋付近でのしじみとり 山崎 佐世子(ヤマサキ サヨコ) 住吉橋付近
175 NG279-04 川をどう渡ったのか覚えていないが、己斐に着いた。たくさんの人が水を求めて川に入り死んでいった。 山本 八重(ヤマモト ヤエ) 1945/8/6 天満川
176 NG377-01 猛火で避難先に行くことができず、本川につないであった舟の中で一夜を明かした。 山本 弘子(ヤマモト ヒロコ) 1945/8/6 住吉橋東詰
177 NG377-02 干潮のため傾いた舟から出てみると皆並んだまま息絶えていた。顔が同じように丸くふくれていた。 山本 弘子(ヤマモト ヒロコ) 1945/8/7 住吉橋東詰
178 GE29-31 会社に避難し治療中亡くなった人や船台に打ち上げられた死体を引き揚げ荼毘に付す。 山根 壽登(ヤマネ ヒサト) 1945/8/7~1945/9/末 三菱重工業広島造船所
179 WH11-078 水主町周辺 山田 友一(ヤマダ トモイチ) 水主町周辺
180 NG003 全身黒焦げになり、性別すら判らず、それでもわずかに動く人 山科 兼規(ヤマシナ トモミ) 1945/8/6 広島第一陸軍病院江波分院前

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