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トップページ原爆の絵地図 "吉島・舟入・観音地区"

原爆の絵

地図 "吉島・舟入・観音地区" で 376 件検索されました。

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検索結果の表示件数

No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
281 GE32-24 遺体を焼く 河野 か津(コウノ カツ) 1945/8/7 観音本町
282 GE36-07 逃げる人々 河野 か津(コウノ カツ) 8/6~8/10 観音本町
283 NG024-24 舟入のお寺で救護に当たる。背中の皮がむけてウジがいっぱいはっていのを治療する時は悲しくて涙が流れた。 河野 一郎(コウノ  イチロウ) 1945/8/6 舟入
284 GE33-14 土手に倒れている中学生・女学生の死体、その中に長男を見つける 津山 正人(ツヤマ マサト) 1945/8/8 広島県庁上方200m
285 GE31-20 防火用水槽の中のゴム人形のように膨れた学徒の死体、道の両側の足の踏場もない程の死体、牛の死体 浜尾 八重(ハマオ ヤエ) 1945/8/8 広島県庁前
286 GE30-21 水を求めて川に入り流された動員学徒の死体を見て合掌する 渡 シズ子(ワタリ シズコ) 1945/8/7 広島刑務所下、本川
287 GE31-13 ガラスが散乱した中で息たえだえの親子 渡 シズ子(ワタリ シズコ) 1945/8/7 吉島飛行場
288 NG050-02 明治橋の上と川を流れる死体、がれきの中の広島刑務所の塀 渡 芳子(ワタリ ヨシコ) 1945/8/7 吉島羽衣町
289 NG143-01 「アッ!B29が何か白いものを落とした」と言う声に窓から上空を見ると機影とそれらしき物が目に写った。 渡邉 昭惠(ワタナベ アキエ) 1945/8/6 倉敷航空機株式会社広島製作所
290 NG143-02 原爆の炸裂した瞬間。 渡邉 昭惠(ワタナベ アキエ) 1945/8/6 倉敷航空機株式会社広島製作所
291 NG143-03 畑や道端には多くの人が折り重なって倒れていた。噴煙、粉塵の中から次々に避難して来る人が現れる。 渡邉 昭惠(ワタナベ アキエ) 1945/8/6 倉敷航空機株式会社広島製作所付近
292 NG344-01 まるで太陽が落ちてきたように窓ガラスが真っ赤になった。この後同時にすごい爆風音でとっさに身を伏せた。 渡邊 昭三(ワタナベ ショウゾウ) 1945/8/6 三菱重工業広島造船所
293 NG344-02 横たわる負傷者は衣類はボロボロで瀕死の状態。口元に乾パンと水を差し出すが受け付けない。 渡邊 昭三(ワタナベ ショウゾウ) 1945/8/7 昭和大橋付近
294 GE15-10 避難してきた女性2人と乳児の死体 満田 義忠(ミツダ ヨシタダ) 1945/8/7 南観音町眞宗学寮庭
295 GE22-08 救護所に集まる被爆者 満田 義忠(ミツダ ヨシタダ) 1945/8/7 市立第二国民学校
296 GE25-30 県立広島第二中学校の校庭で二男の遺体を運んで焼く 満田 義忠(ミツダ ヨシタダ) 1945/8/11 県立二中校庭
297 GE39-24 炊き出しのおにぎりをもらうために並ぶ 満田 義忠(ミツダ ヨシタダ) 1945/8/9 観音本町交差点
298 NG308 火災に追われて逃げ場を失い、川に浮かぶいかだの上に避難する。川上から5、6歳の男の子が流されてきた。 濱田 幸子(ハマダ ユキコ) 1945/8/6 住吉橋西詰
299 SG-0106 父を焼く息子 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ) 被爆後の十月中頃(1945/10/中頃) 江波旧陸軍射撃場
300 WH14-041 江波海岸 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ) 昭和11年頃 江波海岸

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