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トップページ原爆の絵地図 "吉島・舟入・観音地区"

原爆の絵

地図 "吉島・舟入・観音地区" で 376 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
201 NG183-19 水道がこわれ水が吹き出ていたので、それを飲ませてあげた。おいしいとつぶやいて兵隊さんは亡くなった。 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) 1945/8/6 舟入病院付近
202 NG183-20 振り返ると私たちのいた病院は火の手が上がっていた。川向こうの方も火が燃えていた。 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) 1945/8/6 舟入病院から江波までの天満川沿い
203 NG183-21 対岸では逃げ場を失った人たちが川に飛び込んでいた。早く早くとかばいあいながら逃げた。 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) 1945/8/6 舟入病院から江波までの天満川沿い
204 NG183-22 やけどやけがをしたたくさんの人たちが逃げてきた。ニワトリも羽が焼けた哀れな姿で走り回っていた。 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) 1945/8/6 舟入病院から江波までの天満川沿い
205 NG183-23 やっとのことで広島第一陸軍病院江波分院にたどりつき受付をして入れてもらう。 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) 1945/8/6 広島第一陸軍病院江波分院
206 NG183-24 昭ちゃんは赤痢だったので物置のようなところへ入れられた。電灯もない真っ暗な中で一晩過ごした。 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) 1945/8/6 広島第一陸軍病院江波分院
207 NG190-03 焼け跡にバラック小屋を建てて家族4人で暮らす。夜は大きな煙突が恐ろしかったが、星はきれいだった。 佐々木 澄江(ササキ スミエ) 1945/8/20頃 西観音町の缶詰工場の焼け跡
208 NG199 塀のそばに横たわっていた黒焦げの死体。目と歯だけが白くいつまでもいつまでもその場所にあった。 池田 光男(イケダ ミツオ) 1945/8/8~8/9 広島刑務所
209 NG207 立ち上るきのこ雲。雲には色がついており、大人たちはあの雲には毒があると話していた。 沖山 勝秀(オキヤマ カツヒデ) 1945/8/6 江波港
210 NG208-01 建物の下敷きになったが、屋根の上にのがれ、北北東の上空に紅蓮の炎の火球を見た。 高橋 正明(タカハシ マサアキ) 1945/8/6 舟入川口町の自宅
211 NG217 朝礼中、ものすごいせん光と地響きがあり、校舎の屋根がくずれ瓦や石が雨のように降ってきた。 真鍋 美代喜(マナベ ミヨキ) 1945/8/6 舟入国民学校校庭
212 NG238-01 ピカっと光った瞬間の家の中のようす。 大島 幸子(オオシマ ユキコ) 1945/8/6 三菱重工業社宅
213 NG238-02 三菱重工業社宅前の道路には、全身に包帯を巻いた負傷者がたくさん横たわっていた。 大島 幸子(オオシマ ユキコ) 三菱重工業社宅
214 NG239-01 本川の護岸に流れついた死体。川の中にも流れていた。 和田 耕治(ワダ コウジ) 1945/8/7 江波町の本川沿い
215 NG239-02 閃光と爆風が止むと同時に県立広島第二中学校の3棟の2階建て校舎はほとんど全壊した。 和田 耕治(ワダ コウジ) 1945/8/6 県立広島第二中学校
216 NG239-03 閃光と爆風が止むと同時に県立広島第二中学校の3棟の2階建て校舎はほとんど全壊した。 和田 耕治(ワダ コウジ) 1945/8/6 県立広島第二中学校
217 NG277-02 兵隊が小型のトラックにほとんどはだかの男女の区別もつかない人たちを乗せていた。 盛生 倫夫(モリオ ミチオ) 1945/8/7 住吉橋西詰
218 NG279-04 川をどう渡ったのか覚えていないが、己斐に着いた。たくさんの人が水を求めて川に入り死んでいった。 山本 八重(ヤマモト ヤエ) 1945/8/6 天満川
219 NG290 燃える住吉神社、水を求める人、本川を流れる死体。 脇 思郎(ワキ シロウ) 1945/8/6 住吉神社付近
220 NG308 火災に追われて逃げ場を失い、川に浮かぶいかだの上に避難する。川上から5、6歳の男の子が流されてきた。 濱田 幸子(ハマダ ユキコ) 1945/8/6 住吉橋西詰

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