地図 "牛田・広島駅周辺地区" で 394 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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1 | NG258 | 黒焦げの死体の山の横で火傷にウジが這い回る姿の母、8歳の兄と5歳の私。 | 中村 正子(ナカムラ マサコ) | 1945/8/8~8/9 | 矢賀国民学校 | |
2 | NG075-02 | 黒く焼けた死体が並べられていた。自分が捜している人は見つからなかった。 | 原 敏子(ハラ トシコ) | 1945/8/9 | 牛田国民学校 | |
3 | NG346-01 | 鹿児島への帰省途中海田市駅で汽車が止まり、鉄橋を渡り歩いて市内に入る。 | 黒崎 昇勝(クロサキ ショウカツ) | 1945/8/7 | 府中大川に架かる鉄橋(と思われる) | |
4 | GE34-23 | 鳥居の前に積み重なった黒焦げの死体、焼けて倒れた貨物車と側の死体 | 藤田 マサ子(フジタ マサコ) | 1945/8/9 | 饒津神社 | |
5 | WH03-098 | 騎兵第五連隊 | 浜尾 八重(ハマオ ヤエ) | 騎兵第五連隊 | ||
6 | GE40-18 | 駅地下道の爆死体 | 谷上 一六(タニガミ イチロク) | 1945/8/8 | 広島駅地下道 | |
7 | NG439-01 | 駅前は全く人気はなく街は瓦礫と化し市街をかこむ山々は茶褐色だった。 | 中川 清(ナカガワ キヨシ) | 1945/8/26 | 広島駅 | |
8 | NG287-02 | 駅前の焼け残った路面電車を見たとき昨日見た焼死した母子が思い浮かんだ。 | 白川 法光(シラカワ ノリミツ) | 1945/8/10か、8/11 | 広島駅前 | |
9 | NG069-02 | 駅前にたくさんの負傷者がいた。男女の区別もつかず髪はちぢれて肌に食い込んだ着物の布で女の人とわかった | 田島 武雄(タジマ タケオ) | 1945/8/9 | 矢賀駅 | |
10 | NG314-29 | 駅前で特攻隊員らしき人がこぶしを上げて「戦争はこれからだ!」と叫んでいた。むなしかった。 | 細井 竹一(ホソイ タケイチ) | 1945/8/9 | 広島駅前 | |
11 | NG263-04 | 駅前から遠い宇品沖の似島が見えた。妹は似島で10日の昼頃亡くなっていたがその時はまだわからなかった。 | 加川 宏(カガワ ヒロシ) | 1945/8/6 | 広島駅前 | |
12 | NG292-01-34 | 駅を捜して通りかかりの人に聞くとぶっきらぼうにがれきの向こうを指差した。 | 相川 国義(アイカワ クニヨシ) | 1945/8/8 | 広島駅 | |
13 | NG314-11 | 駅に戻ろうとしたが、すでに火災で激しく燃え上がっており、近寄れない状態だった。 | 細井 竹一(ホソイ タケイチ) | 1945/8/6 | 広島駅 | |
14 | NG130-02 | 駅から西方に機関車が倒れていた。ホームの屋根はなく降りる客もあまりいない。 | 吉井 敏春(ヨシイ トシハル) | 1945/9/3 | 広島駅 | |
15 | GE43-21 | 首のない死体、大八車の上の死体 | 北野 ヨシコ(キタノ ヨシコ) | 1945/8/6 | 広島駅前、府中町 | |
16 | WH14-120 | 饒津神社 | 山邉 省二(ヤマベ ショウジ) | 明治45年頃~大正中期 | 饒津神社 | |
17 | WH06-020 | 饒津神社 | 児玉 武子(コダマ タケコ) | 大正中期 | 饒津神社 | |
18 | WH04-023 | 饒津神社 | 右近 文子(ウコン フミコ) | 饒津神社 | ||
19 | WH03-003 | 饒津神社 | 右近 文子(ウコン フミコ) | 饒津神社 | ||
20 | WH01-038 | 饒津神社 | 沖田 盛好(オキタ モリヨシ) | 昭和16、17年頃 | 饒津神社 |