地図 "牛田・広島駅周辺地区" で 394 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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161 | WH14-051 | 広島駅周辺 | 土居 博(ドイ ヒロシ) | 広島駅前、猿猴川付近 | ||
162 | NG121-03 | 広島駅地下道で放射線の影響か無傷なのにぐったりしている兵隊とそれを看病する看護婦。 | 田坂 敏彦(タサカ トシヒコ) | 1945/8/12 | 広島駅地下道 | |
163 | WH01-034 | 広島駅踏切 | 上西 薫(カミニシ カオル) | 昭和13年 | 広島駅踏切 | |
164 | NG439-02 | 廃墟の中、焼けた路面電車が二両放置されていた。瓦礫からは無数の青白い燐光が立ち上がり消えていった。 | 中川 清(ナカガワ キヨシ) | 1945/9/13 | 広島駅 | |
165 | SG-0612 | 廃墟の暗闇の中に、進駐軍が整備した建物の光を見た | 尾崎 稔(オザキ ミノル) | 1945/9末 | 府中町キリンビール工場~広島貨物駅 | |
166 | NG137-02 | 建物の下敷きになった士官。「自分はいいから暗号表だけは持ち出してくれ。」と言いながら火につつまれた。 | 高野 信政(コウノ ノブマサ) | 1945/8/6 | 第二総軍司令部 | |
167 | GE08-37 | 建物疎開作業中に被爆し大火傷の中学生 | 谷峰 房太郎(タニミネ フサタロウ) | 1945/8/6 | 牛田早稲田の自宅 | |
168 | SG-0600 | 弔慰金で闇市に行く | 尾崎 稔(オザキ ミノル) | 1945/11頃 | 広島駅前 | |
169 | NG059 | 引揚げ列車から広島駅に降り立つ。何もなく彼方に建物が1つ月明かりでかすんで見えた。 | 河井 恭子(カワイ キョウコ) | 1945/11/23 | 広島駅プラットホーム | |
170 | NG024-29 | 当直明けで部屋の真中に寝ていたはずが入口の所に吹き飛ばされていた。外に出て市内を眺めて唖然とした。 | 河野 一郎(コウノ イチロウ) | 1945/8/6 | 尾長町 | |
171 | GE34-43 | 復員してみた広島駅前の状景 | 戸野 玉夫(トノ タマオ) | 1946/5/25 | 広島駅頭 | |
172 | GE32-39 | 怪我をして倒れている主人と次男をおぶって立っている私 | 河野 サダ子(コウノ サダコ) | 1945/8/6 | 東練兵場 | |
173 | NG214-01 | 息絶えた母親をたった一人で見守る小さな女の子 | 生塩 敏夫(ウシオ トシオ) | 1945/8/7 | 東練兵場 | |
174 | NG165-05 | 愛宕踏切を渡るとその一帯の建物は見あたらず、浄光寺の焼け残りの山門があるのみだった。 | 駒田 保(コマダ タモツ) | 1945/8/11 | 浄光寺 | |
175 | GE03-48 | 戦闘帽をかぶっていたため、頭下半分の頭髪が焼けた人 | 松尾 政樹(マツオ マサキ) | 1945/8/7 | 広島駅構内 | |
176 | GE01-05 | 戸坂の学校へ避難するために牛田新町まで逃げてきた人々 | 塩津 ハルヨ(シオツ ハルヨ) | 1945/8/6 | 牛田新町 | |
177 | NG094-02 | 戸坂へ続く県道に出て負傷者を見る。子どもを連れた母親。よろけながら座りこみ動けなくなった兵隊さん。 | 津村 明正(ツムラ アキマサ) | 1945/8/6 | 牛田町 | |
178 | GE14-02 | 投下1時間後の火の海の市内、燃える広島城、縮景園 | 喜代吉 五郎(キヨヨシ ゴロウ) | 1945/8/6 | 二葉の里 | |
179 | GE09-20 | 救援のトラックに乗る人、皆大火傷を負い、両腕の皮膚はたれさがっていた | 田中 武彦(タナカ タケヒコ) | 1945/8/6 | 大州一丁目近く、現在の広島バス車庫付近 | |
180 | GE09-21 | 救援隊として市内で死体処理にあたる。火災は続き建物の下敷きになった人々の助けを求める声が聞える。 | 中村 嘉作(ナカムラ カサク) | 1945/8/7、8/8 | 広島駅、猿猴川、比治山、御幸橋、京橋川 |