menu

トップページ原爆の絵地図 "牛田・広島駅周辺地区"

原爆の絵

地図 "牛田・広島駅周辺地区" で 394 件検索されました。

一覧表の項目欄をクリックすると、並び替えが可能です。背景が異なっている項目が現在並び替えの基準となっています。

前へ

次へ

検索結果の表示件数

No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
121 GE27-32 川を流れる死体、たくさんの死者を焼く 犬丸 フミ(イヌマル フミ) 牛田
122 NG392-02 川土手に出ると川には多くの死体が流れ、川に向かって人がぞろぞろと下りていった。 梶矢 文昭(カジヤ フミアキ) 1945/8/6 饒津神社
123 GE31-16 川土手に死んだ百人以上の人々 水を求める被爆者達 饒津神社 木村 幸作(キムラ コウサク) 1945/8/7 常葉橋付近
124 GE43-32 川土手に穴を掘り、死体を焼く 好井 博(ヨシイ ヒロシ) 1945/8/8 広島鉄道局広島工機部
125 GE21-12 川土手を牛田方面を目指して逃げる被災者たち、饒津神社が炎につつまれている 宮沢 静一(ミヤザワ シズイチ) 1945/8/6 饒津神社前、京橋川沿い
126 GE09-11 川岸に避難した人々、体は全身焼けただれ油を塗っていた、死んだ母の乳房を求める子 平田 徳與(ヒラタ トクヨ) 1945/8/6 太田川川岸(牛田水源地)
127 WH05-003 工兵橋から牛田山を望む 川上 恵美香(カワカミ エミカ) 工兵橋
128 NG051-02 工兵隊作業場に来た気の狂った娘さんを保護する。服を着せてもすぐに脱いでしまい一言も口をきかなかった。 住本 一美(スミモト カズミ) 1945/8/6 中国軍管区工兵補充隊作業場
129 NG299-07 市内から温品、戸坂方面に避難するボロボロの衣服をまとった血みどろの負傷者。 吉村 吉助(ヨシムラ キチスケ) 1945/8/6 広島鉄道局広島工機部付近
130 NG299-04 市内から温品、戸坂方面に避難する負傷者たち。ボロボロの衣服をまとい血みどろだった。 吉村 吉助(ヨシムラ キチスケ) 1945/8/6 広島鉄道局広島工機部付近
131 GE11-49 市内から逃げてくる人の顔はふくれていた。 好井 博(ヨシイ ヒロシ) 1945/8/6 尾長町
132 GE37-10 市内よりのがれてきた人達 好井 博(ヨシイ ヒロシ) 1945/8/7 才蔵峠
133 NG300 年老いた常会長さんと2人で消火作業をする。2人の兵隊さんが来て何とかくいとめることができた。 望月 明(モチヅキ アキラ) 1945/8/6 牛田町神田区
134 NG374-02 広島の街は霞がかかったようにおおわれていた。空には真っ赤な大きな火の玉があった。 小笹 敏夫(オザサ トシオ) 1945/8/6 矢賀駅近く
135 GE36-17 広島市街の火が見え、水を下さい、水を下さいの声が聞こえる 室積 淑美(ムロズミ ヒデミ) 1945/8/6 牛田神田山
136 SG-0034 広島汽車駅 小尻 勉(コジリ ツトム) 広島汽車駅
137 SG-0275 広島駅 高増 径草(タカマス ケイソウ) 1945/9/9~9/10 広島駅
138 GE16-04 広島駅から常葉橋付近の地図と被爆の様子 実国 孫市(ジツクニ マゴイチ) 1945/8/6 広島駅から常葉橋付近
139 NG121-01 広島駅から広島湾までが見渡せて驚く。周囲は一面の焼け跡で真っ黒焦げの柱と庭木が林のように立っていた。 田坂 敏彦(タサカ トシヒコ) 1945/8/12 広島駅
140 NG183-29 広島駅から矢賀駅まで山を越えていく。あちこちで死体を積み重ねて火葬にしていた。 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) 1945/8/7 広島駅から矢賀駅に行く途中の山

前へ

次へ

Page Top