地図 "牛田・広島駅周辺地区" で 394 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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361 | GE03-29 | 防火用水槽の中の死体 | 好井 博(ヨシイ ヒロシ) | 1945/8/7 | 尾長町片河、広島へ向いて左側の防火用水槽 | |
362 | GE37-38 | 防空ごうの中の負傷者 | 右近 文子(ウコン フミコ) | 東照宮近く | ||
363 | GE03-23 | 陸軍兵士10名くらいの半裸の死体と馬の死体 | 古川 正一(フルカワ ショウイチ) | 1945/8/9 | 鶴羽根神社前 | |
364 | GE25-07 | 電柱が倒れ、電線が網の目のように広がった路上 | 高野 孝作(タカノ コウサク) | 1945/8/6 | 広島駅2km東 | |
365 | GE28-41 | 電柱に貼付けられた「新型爆弾投下」の号外 | 若狭 藤雄(ワカサ フジオ) | 尾長町(製綿所付近) | ||
366 | GE02-42-1 | 電線が切れ、屋根のおちた広島駅宇品線プラットホームと汽車 | 宇野 耕司(ウノ コウジ) | 1945/8/6 | 広島駅宇品線ホーム | |
367 | NG452 | 電線に宙吊りになった死体、電車の窓から顔を出し死んでいたたくさんの人たち | 小田 豊巳(オダ トヨミ) | 1945/8/6 | 広島駅前 | |
368 | NG270-02 | 青竹の爆心地側は熱線で焼けていた。女性が子どもを連れて食べ物を探し歩いていた。 | 吉村 貞人(ヨシムラ サダト) | 1945/8/16頃 | 饒津神社付近 | |
369 | GE33-50 | 頭が割れザクロのようになった重傷の兵隊 | 若狭 藤雄(ワカサ フジオ) | 1945/8/7 | 矢賀国民学校 | |
370 | NG319-01 | 頭のてっぺんからかかとの先までやけどした弟。「アツイ…水…」とそれだけを繰り返して亡くなった。 | 今浦 瑛子(イマウラ エイコ) | 1945/8/6 | 尾長国民学校 | |
371 | GE05-38 | 顔と背中に火傷した義妹を大八車に乗せて自宅に連れて帰る | 小田 ヒサエ(オダ ヒサエ) | 1945/8/7 | 大須賀町から大州町 | |
372 | NG094-01 | 飛行機を見つけた瞬間、何か地上で一瞬光った。5、6秒後ブォーンという音が聞こえ爆風で1m程飛ばされた。 | 津村 明正(ツムラ アキマサ) | 1945/8/6 | 牛田町 | |
373 | NG256 | 食べ物の配給、広場に集められた負傷者、横転した汽車、馬の死体、母子と軍医、やけどした子どもたち。 | 菅野 俊雄(カンノ トシオ) | 1945/8/8~8/9 | 広島駅 | |
374 | WH05-011 | 食糧増産のため畑を借りて野菜を作る | 宮沢 生駒(ミヤザワ イコマ) | 牛田町 | ||
375 | WH01-038 | 饒津神社 | 沖田 盛好(オキタ モリヨシ) | 昭和16、17年頃 | 饒津神社 | |
376 | WH03-003 | 饒津神社 | 右近 文子(ウコン フミコ) | 饒津神社 | ||
377 | WH04-023 | 饒津神社 | 右近 文子(ウコン フミコ) | 饒津神社 | ||
378 | WH06-020 | 饒津神社 | 児玉 武子(コダマ タケコ) | 大正中期 | 饒津神社 | |
379 | WH14-120 | 饒津神社 | 山邉 省二(ヤマベ ショウジ) | 明治45年頃~大正中期 | 饒津神社 | |
380 | GE43-21 | 首のない死体、大八車の上の死体 | 北野 ヨシコ(キタノ ヨシコ) | 1945/8/6 | 広島駅前、府中町 |