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トップページ原爆の絵地図 "牛田・広島駅周辺地区"

原爆の絵

地図 "牛田・広島駅周辺地区" で 394 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
301 NG183-30 矢賀駅から貨物列車に乗り家に向う。途中何度も空襲があるということでライトを消して停車した。 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) 1945/8/7 矢賀駅
302 NG370-05 神田山まで来てついに動けなくなった。兵士の姿を見て嬉しかった。 山田 一郎(ヤマダ イチロウ) 1945/8/6 神田山
303 WH14-152 福屋と広島駅の写真 松岡 泰三(マツオカ タイゾウ) 昭和4年、昭和12年 広島駅、福屋
304 SG-0692 私の妹が見た原爆が落ちた瞬間の「ものすごい光」。七色の光が筋になってまっすぐに光りながら、輝きながら天に昇っていった 切明 千枝子(キリアケ チエコ) 1945/8/6 二葉山
305 GE13-38 積み上げられた死体、ほとんどが目を開けたまま死んでいる 石橋 新子(イシバシ シンコ) 1945/8/16 工兵作業場(牛田演習場)
306 NG299-01 空が急に明るくなり傘を広げたように閃光が降ってきた。次の瞬間ドーンと音がして爆風に飛ばされた。 吉村 吉助(ヨシムラ キチスケ) 1945/8/6 広島鉄道局広島工機部
307 NG145-01 突然閃光に包まれる学徒たち。気を失い、気がついた時には地獄のような状態だった。 森田 節子(モリタ セツコ) 1945/8/6 東練兵場
308 GE27-46 突風により軍隊の生ゴム倉庫が自然発火する 佐々木 美敏(ササキ ミトシ) 1945/8/6 東練兵場
309 GE23-45 第二部隊総軍騎兵隊で土塀が崩れ馬が死んでいる様子 右近 文子(ウコン フミコ) 第二総軍司令部
310 NG095-02 線路の枕木を100本余り組みその上に犠牲者を寝かせ、下に重油を入れて火葬にする。 清水 善郎(シミズ ヨシロウ) 広島駅前
311 GE46-34 線路わきに横たわる被爆者 篠原 文雄(シノハラ フミオ) 1945/8/31 広島駅
312 NG392-01 練兵場の一角では横長の穴を掘り死体を火葬していた。夜になってもそこだけ野火のように見えた。 梶矢 文昭(カジヤ フミアキ) 1945/8/7~8/8頃 東練兵場
313 GE25-15 肉親を求める何千という人々、乳児を抱く母、紫色に火傷した女学生 難波 雪枝(ナンバ ユキエ) 1945/8/6 東練兵場
314 GE01-50 背中に大やけどを負ってウジがわき高熱に苦しむ叔父 石橋 新子(イシバシ シンコ)、中桐 春美(ナカギリ ハルミ) 牛田町の自宅
315 GE07-49 背中の火傷にウジがわき、お尻にできた床ずれから骨がみえる友人 廣川 越子(ヒロカワ エツコ) 1945/8/20頃 牛田町
316 GE32-08 背負っていた子どもを落としたことに気づき、狂ったように捜しに戻る女性 金尾 滝一(カナオ タキイチ) 1945/8/6 広島駅
317 NG274-01 胸がただれてウジがわいている人。京橋川に流れる死体。 橋本 マチヨ(ハシモト マチヨ) 1945/8/9 広島駅
318 GE35-45 胸の部分が焼け皮膚が本のページを開いた様にめくれたれ下がっていた人 渡辺 聰(ワタナベ サトシ) 1945/8/6 東練兵場
319 NG175-03 腸を出したまま死んでいる幼児。(広島駅西)肉親を捜す人々。(常葉橋) 石田 民生(イシダ タミオ) 1945/8/7 常葉橋・広島駅西
320 NG210-04 腹のふくれた馬の死体、赤くむけた足の男性の死体。 中津 久子(ナカツ ヒサコ) 1945/8/7 大正橋

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