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トップページ原爆の絵地図 "牛田・広島駅周辺地区"

原爆の絵

地図 "牛田・広島駅周辺地区" で 394 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
241 GE24-24 水を求める全裸の親子 西久保 義人(ニシクボ ヨシト) 1945/8/7 饒津神社前
242 GE26-47 汽車から降りてくる被爆者達。広島市内及び近郊の者が続々と避難している 尾尻 重已(オジリ シゲミ) 1945/8/7 矢賀駅
243 NG374-04 汽車は何も無かったかのように走っていた。20~30分くらい後きのこ雲のようになった。 小笹 敏夫(オザサ トシオ) 1945/8/6 矢賀駅近く
244 GE29-37 汽車を待つ間ホームで寝ている。時々目を開けると人の足だけが見えた。 宮地 臣子(ミヤジ トミコ) 1945/8/10 広島駅
245 GE33-05 泣き叫ぶ子供を抱いた女性の手を引き励ましながら逃げる 三戸 秀三郎(ミト ヒデサブロウ) 1945/8/6 京橋町
246 GE28-46 混雑する広島駅前 藤本 四郎(フジモト シロウ) 1945/8/5 広島駅
247 NG323-02 瀕死の重傷を負い、虫の鳴くような声で水を求めていた兵隊さんたち。今もその声が耳から離れない。 森永 ヨシエ(モリナガ ヨシエ) 1945/8/7 東照宮
248 GE28-15 瀕死の重傷を負いながら預かっている子供を気づかう女性 金尾 滝一(カナオ タキイチ) 1945/8/6 東練兵場
249 NG455 火に追われて広島駅から東照宮方面に逃げる人々。 番 健(バン タケシ) 1945/8/6 広島駅
250 GE09-49 火傷にキュウリをすりおろして塗る。体中にウジがわいている。 小野 勝(オノ マサル) 1945/8/9か、8/10 牛田町
251 SG-0738 火傷の傷跡に塗るため、ガマの油を買う 尾崎 稔(オザキ ミノル) 1948頃 広島駅前
252 GE26-06 火傷を負い力尽きて倒れた人に、太陽の光があたらないよう雑草をかけておく 弓場 正荘(ユミバ セイソウ) 1945/8/6 東練兵場
253 GE22-22 火災の熱風で舞い上がるトタン板、倒れた人々 三戸 秀三郎(ミト ヒデサブロウ) 1945/8/6 京橋町
254 NG243-02 火災を避け、家の前の堤防の陰に避難する。しゃがみ込む人たちにひしゃくで水をすくってかけ続けた。 深町 陸夫(フカマチ リクオ) 1945/8/6 牛田町
255 SG-0438 炎をかいくぐり、既に火のついたカバンをやっと一個だけ取り出すことが出来た。カバンの中には先祖の形見の書類が入っていた。一瞬にして燃えたはずの紙が、一緒に入っていた父の防弾チョッキに守られ無事だった。 深町 陸夫(フカマチ リクオ) 1945/8/6 牛田町
256 GE42-26 炎天下にさらされて腐り、ウジがわいた兵隊の死体、焼板に「フモト軍曹」と書かれている。 向井 千代子(ムカイ チヨコ) 1945/8/7 牛田の土手
257 GE21-13 焼けただれた赤ん坊の死体、頭手足がなく帯の部分だけが焼け残った死体、爆風で横倒しになった汽車 荒木 常市(アラキ ツネイチ) 1945/8/6~8/7 広島駅周辺
258 GE34-22 焼けたトタン板で死体を運ぶ兵隊達 藤田 マサ子(フジタ マサコ) 1945/8/9 広島駅
259 NG163 焼けたトタン板をめくって肉親を探す女性。 明石 正宣(アカシ マサノブ) 1945/8/6 広島駅西口
260 GE18-27 焼け跡に整然と並んだ鉄かぶとと短剣、軍旗や書類を焼く人 土井 貞子(ドイ サダコ) 1945/8/7 第二総軍司令部

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