地図 "牛田・広島駅周辺地区" で 394 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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181 | NG054-03 | 救護所ができるが、薬とガーゼもすぐつきてしまい、やけどで亡くなった死者が山のようになった。 | 江角 隆雄(エスミ タカオ) | 1945/8/6 | 荒神社 | |
182 | NG236-01 | 救護所で救援活動を行う。絶え間のない空襲警報で防空ごうに向かうこともしばしばだった。 | 知久 喜代野(チク キヨノ) | 三星製菓、大正橋付近 | ||
183 | GE06-23 | 救護班の活動 | 中野 正英(ナカノ マサヒデ) | 1945/8/6~8/8 | 東練兵場 | |
184 | NG297 | 教室の中には大勢の人が横になっていた。おばあさんがトマトにしゃぶりついているのが異様に見えた。 | 西川 愛子(ニシカワ アイコ) | 矢賀国民学校 | ||
185 | GE14-07 | 数時間後の惨状、幽霊のような人 | 石津 一博(イシズ カズヒロ) | 京橋町 | ||
186 | GE07-02 | 整列していた兵士、倒れた建物、火災の煙り | 黒川 光道(クロカワ コウドウ) | 1945/8/6 | 第二総軍司令部 | |
187 | NG266-02 | 敵機が来て母が私たちを防空ごうに押し込んだ。中はやけどした負傷者がいっぱいで街は火の海だった。 | 煙上 博隆(エンジョウ ヒロタカ) | 1945/8/6 | 東練兵場 | |
188 | NG245 | 昭和20年3月頃、東練兵場であった空襲を尾長国民学校から見る。 | 桑原 寿子(クワハラ ヒサコ) | 1945/3 | 尾長国民学校 | |
189 | SG-0200 | 昭和20年8月7、8日頃の広島駅前の様子 | 神本 信夫(カミモト ノブオ) | 広島駅前 | ||
190 | GE32-31 | 朝、戸を開けようとしたが開かなかった 戸の外に真黒の死体が2つあった | 好井 博(ヨシイ ヒロシ) | 1945/8/7 | 尾長町片河の自宅 | |
191 | NG314-02 | 朝礼開始まもなく強烈な閃光で部屋は真っ白になり逃げようとした瞬間ドカーンとごう音がした。 | 細井 竹一(ホソイ タケイチ) | 1945/8/6 | 広島駅 | |
192 | GE27-34 | 朝鮮から引き揚げて呉に帰る途中汽車から見た焼野原の広島、駅前の真新しい柵 | 藤本 蔦子(フジモト ツタコ) | 1945/10/中旬頃 | 広島駅 | |
193 | GE28-01 | 木の枝は折れ、屋根瓦はめちゃくちゃであった | 中尾 庄一(ナカオ ショウイチ) | 1945/8/6 | 牛田町 | |
194 | GE35-27 | 木材と死体を積み重ねて火葬する | 西久保 義人(ニシクボ ヨシト) | 1945/8/10 | 大須賀町 | |
195 | GE07-26 | 木材と竹の間に死体が積んであった、背中は焼け、髪はちぢれ、男女の判別もむずかしかった | 好井 博(ヨシイ ヒロシ) | 1945/8/8 | 矢賀国民学校 運動場東鉄棒付近 | |
196 | GE28-16 | 本堂が倒れて、屋根の下敷になった娘を助けようとする母 | 東閑 ハツ子(トウカン ハツコ) | 1945/8/6 | 専立寺 | |
197 | NG145-02 | 東照宮に避難していたが、学校に戻ろうとして山を降り、広島駅に向かう。 | 森田 節子(モリタ セツコ) | 1945/8/6 | 東照宮 | |
198 | WH14-154 | 東照宮の参道 | 土橋 春人(ドバシ ハルト) | 昭和5年頃 | 東照宮 | |
199 | GE30-43 | 東照宮前に避難した多くの人々 | 友田 マサエ(トモタ マサエ) | 1945/8/8 | 二葉山・東照宮付近 | |
200 | WH01-049 | 東照宮参道の街道マツ | 中野 健一(ナカノ ケンイチ) | 東照宮 |