地図 "牛田・広島駅周辺地区" で 394 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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101 | NG356-01 | 気がついたら校舎の下敷きになっており頭と鼻に大けがをし血まみれになってうつぶせに倒れていた。 | 松尾 和子(マツオ カズコ) | 1945/8/6 | 牛田国民学校 | |
102 | NG075-02 | 黒く焼けた死体が並べられていた。自分が捜している人は見つからなかった。 | 原 敏子(ハラ トシコ) | 1945/8/9 | 牛田国民学校 | |
103 | GE40-47 | 8月6日朝から翌日にかけての自宅周辺の様子 | 八幡 スミ子(ヤハタ スミコ) | 1945/8/6~8/7 | 牛田周辺 | |
104 | NG364-03 | 天をこがし赤く赤く朝まで燃え続けた広島の空をじっと見ながらひたすら家族の無事を祈った。 | 河内 政子(コウチ マサコ) | 1945/8/6 | 牛田の山 | |
105 | GE42-26 | 炎天下にさらされて腐り、ウジがわいた兵隊の死体、焼板に「フモト軍曹」と書かれている。 | 向井 千代子(ムカイ チヨコ) | 1945/8/7 | 牛田の土手 | |
106 | GE20-08 | 西練兵場から逃げて来た兵隊たちの幽霊のような行列、手当を受けに戸坂に向かう | 貝川 百合子(カイカワ ユリコ) | 牛田から戸坂へ行く途中 | ||
107 | WH05-022 | 牛田の石燈篭 | 犬丸 フミ(イヌマル フミ) | 大正10年頃 | 牛田 | |
108 | GE27-32 | 川を流れる死体、たくさんの死者を焼く | 犬丸 フミ(イヌマル フミ) | 牛田 | ||
109 | GE07-50 | 被爆した友人、足の水ぶくれが畳までつき伸ばすこともできない | 廣川 越子(ヒロカワ エツコ) | 1945/8/6 | 牛田 | |
110 | NG404-01 | やけどして服もボロボロの人たちが避難してきた。寺の前で泣いている女の子を連れて逃げる。 | 森清 和恵(モリキヨ カズエ) | 1945/8/6 | 浄光寺 | |
111 | NG165-05 | 愛宕踏切を渡るとその一帯の建物は見あたらず、浄光寺の焼け残りの山門があるのみだった。 | 駒田 保(コマダ タモツ) | 1945/8/11 | 浄光寺 | |
112 | GE22-46 | 燃える貨車、米が俵からザーザーこぼれ出ていた | 山村 政子(ヤマムラ マサコ) | 1945/8/6 | 桜の馬場踏切 | |
113 | GE42-27 | 猿猴川に浮かぶ死体 | 武田 一美(タケタ カズミ) | 1945/8/8 | 松原町(猿猴川) | |
114 | GE04-13 | 家の下敷になったこどもを助けようとする両親、火を消す人、にげる人、防火用水の水を飲む人 | 吉野 豊子(ヨシノ トヨコ) | 1945/8/6 | 松原町付近 | |
115 | WH14-007 | 広島駅前の松並木 | 三浦 篤夫(ミウラ アツオ) | 松原町 | ||
116 | NG465 | 母親に背負われた女の子、体全体が水ぶくれになり、目も開かず口もきけず、人間とは思えない姿だった。 | 檜山 良子(ヒヤマ ヨシコ) | 1945/8/6 | 松原町 | |
117 | GE34-41 | 焼け野原になった街と路面電車 | 好井 博(ヨシイ ヒロシ) | 1945/8/8 | 松原町 | |
118 | GE04-18 | 爆風でこわれた家の下敷になっている人を助けようとする兵隊、消防活動をする人々 | 吉野 豊子(ヨシノ トヨコ) | 1945/8/6 | 松原町 | |
119 | SG-0262 | 大けがを負った弟妹 | 深田 ヨシ子(フカダ ヨシコ) | 1945/8/6 | 東蟹屋町の自宅 | |
120 | NG387-03 | たった一つの水道の蛇口に多くの負傷者が水を求めて並んでいた。 | 井上 イツコ(イノウエ イツコ) | 1945/8/7 | 東練兵場付近 |