地図 "牛田・広島駅周辺地区" で 394 件検索されました。
一覧表の項目欄をクリックすると、並び替えが可能です。背景が異なっている項目が現在並び替えの基準となっています。
検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
---|---|---|---|---|---|---|
61 | WH10-021 | 的場通り | 大田 晴代(オオタ ハルヨ) | 的場通り | ||
62 | SG-0172 | 生き地獄 | 森 孝人(モリ タカト)、森 蓮枝(モリ ハスエ) | 1945/8/6 | 的場町 京橋町付近 | |
63 | NG219-03 | 身寄りも分からないまま亡くなった人々をだびに付しその性別特徴など書いて骨箱に貼り道に並べた。 | 中平 武司(ナカヒラ タケシ) | 1945/8/10~8/15 | 的場町 | |
64 | WH14-142 | 猿猴橋東詰松原町風景 | 山邉 省二(ヤマベ ショウジ) | 昭和10年頃 | 猿猴橋東詰松原町 | |
65 | GE40-36 | 川に浮かぶ死体とそれを引き上げている兵隊 | 宮城 タツヨ(ミヤギ タツヨ) | 1945/8/9 | 猿猴橋付近 | |
66 | WH07-015 | 猿猴橋たもとの人力車 | 増田 節雄(マスダ セツオ) | 大正中期 | 猿猴橋たもと | |
67 | WH13-059 | 猿猴橋の風景 | 上田 静人(ウエダ シズト) | 猿猴橋 | ||
68 | NG197-04 | 橋桁にはたくさんの死体がたまっていた。兵隊が舟に乗りとびくちを使って死体を引き上げていた。 | 田中 陽造(タナカ ヨウゾウ) | 1945/8/7 | 猿猴橋 | |
69 | WH13-036 | 猿猴川の漁火 | 山邉 省二(ヤマベ ショウジ) | 昭和10年頃 | 猿猴川・大正橋 | |
70 | GE36-17 | 広島市街の火が見え、水を下さい、水を下さいの声が聞こえる | 室積 淑美(ムロズミ ヒデミ) | 1945/8/6 | 牛田神田山 | |
71 | GE12-44 | 重傷の母親が傷ついた我子をかかえ逃げる | 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ) | 1945/8/6 | 牛田町西方の戸坂村に通じる土手 | |
72 | NG300 | 年老いた常会長さんと2人で消火作業をする。2人の兵隊さんが来て何とかくいとめることができた。 | 望月 明(モチヅキ アキラ) | 1945/8/6 | 牛田町神田区 | |
73 | SG-0119 | 傷ついた我が子を抱いた重傷の母親と重傷の兵隊 | 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ) | 1945/8/6 | 牛田町より西方戸坂村に通じる土手 | |
74 | NG356-02 | 家の近くまで来ると米屋が燃えていて一斗缶が音を立てて炎の中で炸裂していた。こわくなって逃げた。 | 松尾 和子(マツオ カズコ) | 1945/8/6 | 牛田町の自宅近く | |
75 | NG356-05 | 下痢と血便が続き、痩せて骸骨のようになった。それから半年間寝たままだった。 | 松尾 和子(マツオ カズコ) | 1945/9~1946/2 | 牛田町の自宅 | |
76 | NG356-04 | 家はこわれ焼けたトタン板で作った小屋で母は胸に大やけどを負い、うなりながら寝ていた。 | 松尾 和子(マツオ カズコ) | 1945/8/20頃 | 牛田町の自宅 | |
77 | GE28-39 | 爆風で壊れた自宅と燃える友人宅 | 神山 幸子(コウヤマ ユキコ) | 1945/8/6 | 牛田町の自宅 | |
78 | GE12-41 | 全身火傷で重傷の妻 | 谷峰 房太郎(タニミネ フサタロウ) | 1945/8/11 | 牛田町の自宅 | |
79 | GE01-50 | 背中に大やけどを負ってウジがわき高熱に苦しむ叔父 | 石橋 新子(イシバシ シンコ)、中桐 春美(ナカギリ ハルミ) | 牛田町の自宅 | ||
80 | WH05-011 | 食糧増産のため畑を借りて野菜を作る | 宮沢 生駒(ミヤザワ イコマ) | 牛田町 |