地図 "牛田・広島駅周辺地区" で 394 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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41 | NG364-01 | 家の下敷きからやっとの思いで外に出て防空ごうに飛び込むと祖母が血まみれになってぼう然としていた。 | 河内 政子(コウチ マサコ) | 1945/8/6 | 神田橋近くの祖母の家 | |
42 | NG370-05 | 神田山まで来てついに動けなくなった。兵士の姿を見て嬉しかった。 | 山田 一郎(ヤマダ イチロウ) | 1945/8/6 | 神田山 | |
43 | NG374-04 | 汽車は何も無かったかのように走っていた。20~30分くらい後きのこ雲のようになった。 | 小笹 敏夫(オザサ トシオ) | 1945/8/6 | 矢賀駅近く | |
44 | NG374-03 | 3分くらいして赤い火の玉を巻くように外側がもくもくと灰色から暗い色になっていった。 | 小笹 敏夫(オザサ トシオ) | 1945/8/6 | 矢賀駅近く | |
45 | NG374-02 | 広島の街は霞がかかったようにおおわれていた。空には真っ赤な大きな火の玉があった。 | 小笹 敏夫(オザサ トシオ) | 1945/8/6 | 矢賀駅近く | |
46 | NG183-30 | 矢賀駅から貨物列車に乗り家に向う。途中何度も空襲があるということでライトを消して停車した。 | 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) | 1945/8/7 | 矢賀駅 | |
47 | NG069-02 | 駅前にたくさんの負傷者がいた。男女の区別もつかず髪はちぢれて肌に食い込んだ着物の布で女の人とわかった | 田島 武雄(タジマ タケオ) | 1945/8/9 | 矢賀駅 | |
48 | GE29-49 | 真白い全身包帯の人々 | 十河 敏尚(ソゴウ トシタカ) | 1945/8/8 | 矢賀駅 | |
49 | GE26-47 | 汽車から降りてくる被爆者達。広島市内及び近郊の者が続々と避難している | 尾尻 重已(オジリ シゲミ) | 1945/8/7 | 矢賀駅 | |
50 | GE13-09 | 列車に乗ろうとして駅に集まった人々の悲惨な状況 | 吉野 豊子(ヨシノ トヨコ) | 1945/8/6 | 矢賀駅 | |
51 | GE13-08 | 負傷者で足の踏み場もない駅構内の様子 | 吉野 豊子(ヨシノ トヨコ) | 1945/8/6 | 矢賀駅 | |
52 | GE04-46 | 負傷した兵隊、左顔面火傷で耳たぶが溶けてなかった、骨折した左腕にに木の枝を添木しゲートルを巻いていた | 松室 一雄(マツムロ カズオ) | 1945/8/7 | 矢賀駅 | |
53 | WH05-018 | 矢賀町の岩山 | 近藤 幸子(コンドウ サチコ) | 矢賀町の岩山 | ||
54 | NG352 | 母を追って家から外に出た瞬間巨大な稲光が空を走り、そばにいた姉がとっさに私の頭を押さえた。 | 宮本 和人(ミヤモト カズト) | 1945/8/6 | 矢賀町 | |
55 | GE15-27 | 負傷者の手当をする保健婦 | 徳富 ヨシコ(トクトミ ヨシコ) | 1945/8/6 | 矢賀町 | |
56 | GE07-26 | 木材と竹の間に死体が積んであった、背中は焼け、髪はちぢれ、男女の判別もむずかしかった | 好井 博(ヨシイ ヒロシ) | 1945/8/8 | 矢賀国民学校 運動場東鉄棒付近 | |
57 | NG297 | 教室の中には大勢の人が横になっていた。おばあさんがトマトにしゃぶりついているのが異様に見えた。 | 西川 愛子(ニシカワ アイコ) | 矢賀国民学校 | ||
58 | NG258 | 黒焦げの死体の山の横で火傷にウジが這い回る姿の母、8歳の兄と5歳の私。 | 中村 正子(ナカムラ マサコ) | 1945/8/8~8/9 | 矢賀国民学校 | |
59 | GE33-50 | 頭が割れザクロのようになった重傷の兵隊 | 若狭 藤雄(ワカサ フジオ) | 1945/8/7 | 矢賀国民学校 | |
60 | GE09-46 | 地をたたき顔を地につけて家族の死を悲しむ朝鮮の人 | 草田 キヌ(クサダ キヌ) | 1945/8/17 | 矢賀国民学校 |