地図 "牛田・広島駅周辺地区" で 394 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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321 | NG356-02 | 家の近くまで来ると米屋が燃えていて一斗缶が音を立てて炎の中で炸裂していた。こわくなって逃げた。 | 松尾 和子(マツオ カズコ) | 1945/8/6 | 牛田町の自宅近く | |
322 | SG-0119 | 傷ついた我が子を抱いた重傷の母親と重傷の兵隊 | 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ) | 1945/8/6 | 牛田町より西方戸坂村に通じる土手 | |
323 | NG300 | 年老いた常会長さんと2人で消火作業をする。2人の兵隊さんが来て何とかくいとめることができた。 | 望月 明(モチヅキ アキラ) | 1945/8/6 | 牛田町神田区 | |
324 | GE12-44 | 重傷の母親が傷ついた我子をかかえ逃げる | 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ) | 1945/8/6 | 牛田町西方の戸坂村に通じる土手 | |
325 | GE36-17 | 広島市街の火が見え、水を下さい、水を下さいの声が聞こえる | 室積 淑美(ムロズミ ヒデミ) | 1945/8/6 | 牛田神田山 | |
326 | WH13-036 | 猿猴川の漁火 | 山邉 省二(ヤマベ ショウジ) | 昭和10年頃 | 猿猴川・大正橋 | |
327 | NG197-04 | 橋桁にはたくさんの死体がたまっていた。兵隊が舟に乗りとびくちを使って死体を引き上げていた。 | 田中 陽造(タナカ ヨウゾウ) | 1945/8/7 | 猿猴橋 | |
328 | WH13-059 | 猿猴橋の風景 | 上田 静人(ウエダ シズト) | 猿猴橋 | ||
329 | WH07-015 | 猿猴橋たもとの人力車 | 増田 節雄(マスダ セツオ) | 大正中期 | 猿猴橋たもと | |
330 | GE40-36 | 川に浮かぶ死体とそれを引き上げている兵隊 | 宮城 タツヨ(ミヤギ タツヨ) | 1945/8/9 | 猿猴橋付近 | |
331 | WH14-142 | 猿猴橋東詰松原町風景 | 山邉 省二(ヤマベ ショウジ) | 昭和10年頃 | 猿猴橋東詰松原町 | |
332 | NG219-03 | 身寄りも分からないまま亡くなった人々をだびに付しその性別特徴など書いて骨箱に貼り道に並べた。 | 中平 武司(ナカヒラ タケシ) | 1945/8/10~8/15 | 的場町 | |
333 | SG-0172 | 生き地獄 | 森 孝人(モリ タカト)、森 蓮枝(モリ ハスエ) | 1945/8/6 | 的場町 京橋町付近 | |
334 | WH10-021 | 的場通り | 大田 晴代(オオタ ハルヨ) | 的場通り | ||
335 | GE09-46 | 地をたたき顔を地につけて家族の死を悲しむ朝鮮の人 | 草田 キヌ(クサダ キヌ) | 1945/8/17 | 矢賀国民学校 | |
336 | GE33-50 | 頭が割れザクロのようになった重傷の兵隊 | 若狭 藤雄(ワカサ フジオ) | 1945/8/7 | 矢賀国民学校 | |
337 | NG258 | 黒焦げの死体の山の横で火傷にウジが這い回る姿の母、8歳の兄と5歳の私。 | 中村 正子(ナカムラ マサコ) | 1945/8/8~8/9 | 矢賀国民学校 | |
338 | NG297 | 教室の中には大勢の人が横になっていた。おばあさんがトマトにしゃぶりついているのが異様に見えた。 | 西川 愛子(ニシカワ アイコ) | 矢賀国民学校 | ||
339 | GE07-26 | 木材と竹の間に死体が積んであった、背中は焼け、髪はちぢれ、男女の判別もむずかしかった | 好井 博(ヨシイ ヒロシ) | 1945/8/8 | 矢賀国民学校 運動場東鉄棒付近 | |
340 | GE15-27 | 負傷者の手当をする保健婦 | 徳富 ヨシコ(トクトミ ヨシコ) | 1945/8/6 | 矢賀町 |