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トップページ原爆の絵地図 "牛田・広島駅周辺地区"

原爆の絵

地図 "牛田・広島駅周辺地区" で 394 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
141 SG-0262 大けがを負った弟妹 深田 ヨシ子(フカダ ヨシコ) 1945/8/6 東蟹屋町の自宅
142 SG-0250 広島駅で午前8時15分原爆閃光を逆光で見た。 吉村 紫朗(ヨシムラ シロウ) 1945/8/6 広島駅ホーム
143 SG-0172 生き地獄 森 孝人(モリ タカト)、森 蓮枝(モリ ハスエ) 1945/8/6 的場町 京橋町付近
144 SG-0119 傷ついた我が子を抱いた重傷の母親と重傷の兵隊 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ) 1945/8/6 牛田町より西方戸坂村に通じる土手
145 NG474 モクモクと広がるきのこ雲。ピンク、銀色、青色に変化し、雲のふちが舞い降りてくるように思えた。 指田 勢郎(サシダ セイロウ) 1945/8/6 東練兵場
146 NG465 母親に背負われた女の子、体全体が水ぶくれになり、目も開かず口もきけず、人間とは思えない姿だった。 檜山 良子(ヒヤマ ヨシコ) 1945/8/6 松原町
147 NG456-02 山に避難し、燃えている自分達がいた建物を見おろす。 村山 要(ムラヤマ カナメ) 1945/8/6 第二総軍司令部
148 NG456-01 原爆の落ちた瞬間、真っ暗になり、逃げ遅れて1人通信室にとり残される。ガラス破片で頭と顔に負傷する。 村山 要(ムラヤマ カナメ) 1945/8/6 第二総軍司令部
149 NG455 火に追われて広島駅から東照宮方面に逃げる人々。 番 健(バン タケシ) 1945/8/6 広島駅
150 NG452 電線に宙吊りになった死体、電車の窓から顔を出し死んでいたたくさんの人たち 小田 豊巳(オダ トヨミ) 1945/8/6 広島駅前
151 NG404-01 やけどして服もボロボロの人たちが避難してきた。寺の前で泣いている女の子を連れて逃げる。 森清 和恵(モリキヨ カズエ) 1945/8/6 浄光寺
152 NG402 疎開していた学校に負傷者がたくさん来た。広島駅では外を見たらいけないと汽車の窓はよろい戸がおろされた 池田 節子(イケダ セツコ) 1945/8/6 向原国民学校、広島駅
153 NG401-01 お寺で勉強していた弟は即死し近所の人が遺骨を拾ってくれた。 梶田 瞳(カジタ ヒトミ) 1945/8/6 専立寺付近
154 NG395 真っ白い雲が市内全体をおおって入道雲のように立ち上り、その中から異様なものが噴出していた。 吉村 紫朗(ヨシムラ シロウ) 1945/8/6 広島駅裏
155 NG393 病院に行こうとする途中全身やけどで男女の区別もつかない人々が無言で逃げて来るのに出合う。 平田 照昌(ヒラタ テルマサ) 1945/8/6 牛田町
156 NG392-02 川土手に出ると川には多くの死体が流れ、川に向かって人がぞろぞろと下りていった。 梶矢 文昭(カジヤ フミアキ) 1945/8/6 饒津神社
157 NG374-04 汽車は何も無かったかのように走っていた。20~30分くらい後きのこ雲のようになった。 小笹 敏夫(オザサ トシオ) 1945/8/6 矢賀駅近く
158 NG374-03 3分くらいして赤い火の玉を巻くように外側がもくもくと灰色から暗い色になっていった。 小笹 敏夫(オザサ トシオ) 1945/8/6 矢賀駅近く
159 NG374-02 広島の街は霞がかかったようにおおわれていた。空には真っ赤な大きな火の玉があった。 小笹 敏夫(オザサ トシオ) 1945/8/6 矢賀駅近く
160 NG374-01 松江に帰るため朝早く広を出て、広島駅で芸備線に乗り換えるためプラットホームで待つ。 小笹 敏夫(オザサ トシオ) 1945/8/6 広島駅

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