地図 "牛田・広島駅周辺地区" で 394 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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81 | SG-0261 | 枯れた稲 | 壷井 進(ツボイ ススム) | 1945/8/7 | 牛田町 | |
82 | SG-0207 | 色のない町 | 牧野 俊介(マキノ シュンスケ) | 1945/8/7 | 広島駅プラットホーム | |
83 | SG-0144 | 国前寺本堂内の惨状 | 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ) | 1945/8/7 | 国前寺本堂内 | |
84 | SG-0131 | 二葉山台地の悲劇 | 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ) | 1945/8/7 | 二葉山台地 | |
85 | NG473-01 | 瓦礫の山となった市内、ところどころに上がっていた白煙、負傷した夢遊病者のようにさまよう女性 | 山形 明(ヤマガタ アキラ) | 1945/8/7 | 広島駅から南西を望む | |
86 | NG387-04 | 枕元に置かれたむすびを食べることもなく息絶えた子ども | 井上 イツコ(イノウエ イツコ) | 1945/8/7 | 饒津神社付近 | |
87 | NG387-03 | たった一つの水道の蛇口に多くの負傷者が水を求めて並んでいた。 | 井上 イツコ(イノウエ イツコ) | 1945/8/7 | 東練兵場付近 | |
88 | NG387-02 | 死体はあちこちに横たわり一部は集められて大八車の上に積み重ねられていた。 | 井上 イツコ(イノウエ イツコ) | 1945/8/7 | 東練兵場 | |
89 | NG387-01 | 熱さのあまり川に飛び込み溺れた人なのだろうか。やけどやけがで顔は見分けもつかなかった。 | 井上 イツコ(イノウエ イツコ) | 1945/8/7 | 饒津神社近くの京橋川 | |
90 | NG370-06 | 三原から来た救援隊に初めて包帯をしてもらう。大八車に乗り矢賀駅から東城町に向かう。 | 山田 一郎(ヤマダ イチロウ) | 1945/8/7 | 東照宮入口 | |
91 | NG346-01 | 鹿児島への帰省途中海田市駅で汽車が止まり、鉄橋を渡り歩いて市内に入る。 | 黒崎 昇勝(クロサキ ショウカツ) | 1945/8/7 | 府中大川に架かる鉄橋(と思われる) | |
92 | NG339-02 | やけどした人々の顔は大きく丸くふくれて見分けがつかなかった。大八車には馬の死体が山積みにされていた。 | 伊賀﨑 静子(イガサキ シズコ) | 1945/8/7 | 東練兵場 | |
93 | NG323-02 | 瀕死の重傷を負い、虫の鳴くような声で水を求めていた兵隊さんたち。今もその声が耳から離れない。 | 森永 ヨシエ(モリナガ ヨシエ) | 1945/8/7 | 東照宮 | |
94 | NG216-02 | 橋の近くの道や橋の両側に全身大やけどで真っ赤にはれあがり倒れている人々。 | 花岡 ルリ子(ハナオカ ルリコ) | 1945/8/7 | 二葉の里 | |
95 | NG214-02 | 川に浮いた死体。女性ばかりだった。 | 生塩 敏夫(ウシオ トシオ) | 1945/8/7 | 京橋川、東練兵場から基町の広島連隊区司令部に向かう途中 | |
96 | NG214-01 | 息絶えた母親をたった一人で見守る小さな女の子 | 生塩 敏夫(ウシオ トシオ) | 1945/8/7 | 東練兵場 | |
97 | NG210-04 | 腹のふくれた馬の死体、赤くむけた足の男性の死体。 | 中津 久子(ナカツ ヒサコ) | 1945/8/7 | 大正橋 | |
98 | NG197-04 | 橋桁にはたくさんの死体がたまっていた。兵隊が舟に乗りとびくちを使って死体を引き上げていた。 | 田中 陽造(タナカ ヨウゾウ) | 1945/8/7 | 猿猴橋 | |
99 | NG183-30 | 矢賀駅から貨物列車に乗り家に向う。途中何度も空襲があるということでライトを消して停車した。 | 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) | 1945/8/7 | 矢賀駅 | |
100 | NG183-29 | 広島駅から矢賀駅まで山を越えていく。あちこちで死体を積み重ねて火葬にしていた。 | 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) | 1945/8/7 | 広島駅から矢賀駅に行く途中の山 |